#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

社畜の快楽は甘い誘惑

一ヶ月ちょい前から仕事が忙しく、帰宅が毎日遅い。量が多いだけでなく、スピードも質も求められどんどん駄目出しもされるので結構精神的に追い詰められる。締め切りに追いまくられる悪夢で夜も寝た気がしない。家に帰ってきたらバタンキューで、朝起きたらすぐ着替えて仕事行くって感じ。

 
ちゃんと本読んだりしっかりブログ書いたりできないので非常にストレスたまる。
 
恐ろしいのは、今やってることは自分のビジネスでもなんでもなく、例えば(あくまで例えば)毎日「穴」を掘って埋めてるだけの作業だとしても、そこにそれなりの充足感が生まれてしまうということだ。めっちゃしんどいのだが、どこかに、そこまで頑張ってることへの満足感を覚えてしまってる。こーゆー人間の性質があるからこそ、(これもあくまで例えばだが)ブラック企業は、やりがいの引き換えに社員を搾取することができるんだろう。これは、一体救いなのだろうか。それとも罠なのか。
 
生きがいとか充足感というのは不思議なもので、自分自身のことを一旦忘れて、他人を喜ばせるために生きると、そこにはそれなりに満足が生まれる。生まれてしまう。
 
「自分の人生に求める物」とか「自分の幸せとは何か」とかいうことは非常に重要だと思うが、実はこれをちゃんと考えてない大人は多い。とゆーか考えてる人はほとんどいない。←人生のミッションを書いてるのは、よっぽど意識高い系の自己啓発系か、ネットワークビジネスの人くらいである。それを考えるのはどこか不安で怖かったりするので、多くの人は考えることを避けており、夢を聞かれても戸惑ったり、迷った挙句「家を買う」とか「家庭円満」とか無難なのを言う。または「あなたは何なの」とやゆ神経質気味に聞き返す。
 
しかし、家族(特に子育てや介護など世話をしなければいけない相手)がいたり、目の前にこなさなければいけないタスクが山積みだと、表面的ではあるが存在意義を与えられるので、それなりに満足感を得ることができで落ち着く。何より、忙しくなることで、生きてる意味だとかお金を稼ぐ意味だとか、テツガク的問題に頭を悩ませている暇はなくなるのである。だから社畜してる時は体は常に病み気味でも、気持ち的にはそれなりに妙に安定してたりはする。不思議なことに。キツいのに、どこか楽なんだろうね。
 
でも、本当は、それじゃダメで。やっぱり自分の優先するものが何か忘れてはいけない。
 
お金をいくら稼いでも、休みが全然なくて、平日も毎日午前様で、お金を使う時間がなかったら意味ないように。目の前の「充足感」という麻薬に依存して、長い目で見たときの目標を見失わないようにしなければ。