#あたシモ

虹の向こう側

90歳のゲイ男性、クローゼットで生きてきて70歳でカムアウトした人生を振り返る

ヘクター・ブラック(Hector Black)さんは、娘をレイプし殺した犯人を許すと語って有名になった人物です。これまでも、多くのラジオ番組に出演し「許し」について語ってきた彼ですが、実は自分自身、ゲイであることに悩み続けた過去を持っていました。現在90歳のヘクターさんにNPRがインタビューをしたので、抄訳で紹介いたします。

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ヘクター・ブラックがもしも自伝を書いていれば、我々はそれについて彼をインタビューしたでしょう。しかし、彼はまだ自伝を書いておらず、90歳です。そこで、私たちは、彼の人生について聞くことにしました。

ブラックさん(以下B): 私はこの世界で自分みたいに変なヤツなんていないという気持ちがしていましたよ。

言葉はあったんですか?

B:ない。ない、言葉なんて全然ないよ。何もなかった。これが何なのか。全くわからなかった。ただわかっていることは、自分が男に惹かれるということだけだった。

2015年は、同性愛者の権利にとって革命的な年でした。今では50州全てで同性婚が合法です。でも、ヘクター・ブラックが生まれた1925年には「同性愛者の権利」という言葉すら存在しなかったのです。

B:「ゲイ」という言葉は、決して口にされることがなかった。「ホモセクシャル」もだ。もし口にされるとしてもヒソヒソと囁かれるだけだった。

この後、もっとゲイに対して攻撃的な言葉が出てくることをお知らせしておかなければいけません。ヘクターは、秘密の生活を送らなければいけなかった時代に生きた何千人もの名もなき人々を代表しています。彼はこれまで、StoryCorps、Radiolab、The Mothなどのラジオ局にインタビューされましたが、この物語は今まで一度も語られることがありませんでした。彼は今、家族が園芸店を営むテネシー州の田舎に住んでいます。

B:これはマルベリーだよ。とても美味しいマルベリーだ。

私は、彼の庭を見下ろせる石の敷き詰められたパティオに腰掛けました。彼が何十年も前に植えた木から吊り下げられた風鈴の音がしています。彼が、他にも彼のような人がいるのだと気づいたのは、1940年代、ハーバード大学で人類学を学んでいる時でした。その時、初めて性的な経験もしたのです。

B:これは自分ではないと思いました。自分ではありえないと。そして震え上がりました。それから、数ヶ月経って、また「そのこと」を考えだしてしまい、またしたいと思うようになってしまったのです。それで、私たちは恋人になりました。

ヘクターは第2次世界大戦で従軍しましたが、やがて人を殺すことはできないということがわかりました。彼は社会的公正や、平和主義、そして共同生活などに興味があり、彼はパラグアイのコミューンに行き着きました。しかしそこでは、同性愛は一切許されていませんでした。前世紀中旬に生きた多くのゲイ男性と同じく、ヘクターは、ゲイ治療をすることにしました。

B:これは、当時、皆が正しいと思っていたやり方でした。女性ホルモン(エストロゲン)を飲むんだ。だから私も飲み、やがては胸が膨らんできた。そこで彼らはもういいだろうといい、私は治療をやめました。大丈夫そうだったので。

彼はアメリカに戻ってきました。

B:そこで、私はスージーに会いました。

スージー・メーンデール。彼らは恋に落ち、子供を持ちました。

B:私は治ったと思っていたのです。そうでなければ、結婚したり子供を育てたりはしませんよ。それは間違っているでしょう。

でも、いつ治っていないと気づいたのですか?

B:私は園芸店にいて、植物の世話をしていたんです。そしたらそこに若い男がいて、何か私に視線を送ってくるんです。

ヘクターは、妻に、ミーティングに行くと言いましたが、実はその若い男に会いました。そして翌日のことです。

B:友達が来て、昨日ミーティングの時どこにいたんだヘクター?と聞いたんです。

スージーの前で?

B:そうです。そして、私はめちゃめちゃでした。

彼はスージーに本当のことを言い、もう二度としないと言いました。1960年代のことでした。ヘクターは、黒人解放運動に参加するため、家族と共にアトランタへ引っ越しました。黒人だらけの地域で、たったひとつの白人家庭でした。

B:素晴らしいこともあって、ゲイであることは、人と違うのがどんなことかというのを理解することを助けてくれました。もちろん、ゲイであることは隠せるし、黒人であることは隠せないから違いはあるのだけれど。軽蔑されている少数派であるということがどんな感じかということを、私は知っていました。

しかし誘惑は続きました。ヘクターは妻を泣かせ、罪を犯し、告白し、悔い改め、それが繰り返されました。そして、彼は自分に言い聞かせました。

B:これは意味がない。私はスージーを傷つけている。私はめちゃくちゃだ。そこで私は二重生活を送り始めたのです。そこで、アトランタからテネシーに引っ越しました。都会の誘惑から逃げようと思ったのです(笑)

なぜ笑っているのかというと、実は1970年代のテネシーは、隠れたゲイのコミュニティーへの入り口だったのです!しかし、コミュニティーの友人を作ることは、ヘクターを完全にクローゼットから引き出すことはできませんでした。

ヘクターさんは20年前、70歳の時にカムアウトしました。当時は、ゲイのロールモデルがまだ少なかった時代です。なぜ彼は二重生活をやめたのでしょうか?その理由は娘でした。娘が先に、ヘクターとスージーにカムアウトしたのです*1

B:私たちは彼女を愛していた。私は彼女がどんな思いをしていたかわかるから余計にです。そして私は自分に言い聞かせたのです。これで終わりだと。彼女を愛しながら、同時に自分のことを憎むことなどできるのか?と。

結婚してから40年後、ヘクターはスージーに離婚を切り出しました。そして彼女はノーと言ったのです。

B:彼女は、他に恋人を探してもいいと言いました。彼のことを自分もきっと好きになるだろうと。

これが20年前のことでした。スージーは、この夏亡くなりました。彼女は、木の下の、渓流を眺められるところに眠っています。

ブラックさんは、70歳という遅い年齢でカムアウトしたことを後悔していないそうです。

B:苦しんだことは、他の人を理解する助けになったからです。マザーテレサが「神よ、私の心を完全に壊してください、世界の一部になれるように」と言ったように。これまで辛い思いをしたことにとても感謝しています。その経験が、愛することを教えてくれたのです。


日本にも必ずいたであろう(そして今もいるであろう)クローゼットで生きているゲイやレズビアンのことを思って胸がいっぱいになりました。

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*1:「レズビアンの娘」について気になって、ちょっと調べたのですが、殺された娘がこのレズビアンの娘であるかはわかりませんでした。ヘクターさんとスージーさんは、多くの子どもを養子にとって育てていたようです。