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#あたシモ

虹の向こう側

空気が読めない人は、読まなくてもよい場所に行くべき

KYっていう言葉はもう死語なのかな?でも、相手の言葉だけではなく「空気を読み」、空気を踏まえたうえ、適切な回答をする、という「空気を読む」コミュニケーションは、相変わらず必要とされる場面がある気がする。

photo by Laura Barberis

わたし自身、空気を読めなくてずーっと苦労してきたので、つくづく思うんだけど、空気を読むのが苦手な人は、頑張って読めるようになろうと努力するよりも、思い切って空気を読む必要のない場所に行った方がいいですよ。

「相手を変えよう」とするのは難しいというかほぼ不可能ですし、自分の空気読みスキルを向上させようとしても、限界があります。思い切って、学校なり、職場なり、趣味のサークルなり、環境の方を変えてみて、空気を読めない自分に「合う」場所を見つけたほうがいいんですよ。

外国とかはその点最高です。移民や外国人は、そもそも共有している文化が少ないため「無言の期待」みたいなものを持たれない気がします。まあもしかして、わたしが感知できていないだけで、「空気読め」圧力も、空気を読まないことによるペナルティーもバリバリ存在するのかもしれませんが。それを感知しないで過ごせるということだけでも、かなり楽です。

まあ、現地に馴染んでくるにつれ「ああ、こういう時はこうしなきゃいけないのね」という現地のマナーもわかってきますし、日本人や、同郷の人などに、一方的に「この人なら空気を読んでくれるはず」と期待をかけられる場合もあります。しかし、日本と比べたらよくわからない「空気読め」圧力の絶対量が少ないので、ホント楽です。

わたしも長い間、「好きな相手・尊敬する相手を喜ばせたい」という一心で「空気を読む」練習をしてきました。でも結局、空気を読む能力がない人間は、自分がそれをできているかどうかわからないため、どんなに頑張っても相手の顔色を伺ってビクビクする変な関係性になってしまいますし、最終的には「自分に理解できない何か」(そもそも「空気」って目に見えないものですよね)のおかげでこっぴどく怒られたりするので、ものすごく精神的に消耗しました。

わたしはアメリカに移住して、めちゃくちゃ人生楽になったんですね。その理由として、わかりやすいから、いっつも「ゲイとして生きやすいから」と説明してますが、実際には「空気読め」圧力に苦しまないですむことも、相当大きいです。

もちろん、海外でなくてもかまいません。 空気を読めない人は、環境を変えてみてください。 もしかしたら、めちゃくちゃ楽になるかもしれないですよ!