#あたシモ

虹の向こう側

政治に「強いリーダー」を求めてしまう弊害

家族が「日本にトランプのような強い人が出てきたら支持する」「ZOZOの前澤社長に首相になってほしい」と言っていて、「うわぁ……」と思ってしまった。いやいやいや。ヤバい傾向だね。

こーゆーこと言う人よくいるし、実際ビジネスマンから政治家に転身する人が割と多い。でも、多くの場合、そういうビジネスマンあがりの政治家は、政治の場では実業ほどの結果を残さないことが多い。経営者として有能な人が、よい政治家になるとは限らないのだ。それは、なぜか?

まずひとつめの理由としては、企業にとって利益は本質的なのものなのに対し、社会はそうではないということだ。社会の構成員は非常に多様で、一部だけ見たら、利益を生まないセクターもあるだろうし、「生産性」という意味では、劣るところもあるだろう。「継続的な利益の追求」という企業のミッションからすれば、そう言ったセクターを切り離し、効率化し「無駄」をなくしていくことは善だ。

しかし、社会を運営する時に、同じやり方では困る。企業は従業員や顧客を選べるが、社会は選べないのだから。そこでは「継続的な利益の追求」というわかりやすい目的はなくなり、「社会は何のために存在するのか?」という、ある意味哲学的な問いに対するポジションを取り、現実のアクションという形で答えを出していかなければならない。経営者は、多くの場合、どちらの陣営にも影響力を保つため、対立している政党両方に支援をする。経営者出身の政治家は「経済優先」という点はあるものの、社会を取り巻く哲学的な基盤や信条を欠くことが多く、政策がブレやすい。

次に、ふたつめの理由としては、政策の実行面で、これについても、経営者と政治家は違うからだ。オーナーが強大な権力を有しているような会社であれば、経営者がワンマンで決めて行って回すことはできるが、政治はそうはいかない。政治は、複数のステークホールダーの利害調整を慎重に行い、議会を説得し、人を巻き込み、交渉しながら進める必要のある作業だ。グイグイ会社を引っ張ってきた経営者が政治家になって同じようなワンマンさを発揮できるとは限らない。(それができているとしたら独裁に近い状態なので、きっとあまりよくないことだ)

もちろん、現状の政治や政治家に不満があることはわかる。いくら投票しても、自分の支持する候補者が当選しないような場合、「何をしても変わらない」という無力感にとらわれるのも理解できる。

でも、そこで、「わかりやすい強いリーダー」を求めて、明らかに不適応な人に期待してしまうことは、ものすごく危険だと思う。

じゃあどうしたらよいのか?

強いリーダーがガン!と変えてくれるという幻想は捨て、自分にできることを、「今ここ」から、地道にやってくしかないんだよね。