#あたシモ

虹の向こう側

友達の親の方に強いシンパシーを感じることが多い理由

parents

アメリカに来てから、友達の「親」に強い興味を抱くようになった。わたしの仲いい友達はほとんどが、アメリカ生まれまたは幼少時に移民してきた「アメリカ人」で、自分自身のように大人になってから移民してきた人は少ない。しかし、彼らの多くは「移民」の親を持っている。

そういう場合、「あなたの親は、なんでアメリカに来たの?」とか絶対聞いてしまうし、その話はいちいち面白い。ベトナム難民としてアメリカに来て、難民キャンプで出会った二人とか、もう何世代も前にハワイにいた人たちとか、結構最近に「アメリカに行くぞ!」と出てきた人たちとか……。

人種や民族関係なく、「移民の物語」には共感してしまうのだが、彼らがアジア系-特に日系-の場合には、特に奇妙な興味というか、不思議な関心を持ってしまう。それは、まさしく、彼らが「わたし」だと感じるからだ。

日本で生まれ育ちながら何らかの理由でアメリカに来て、アメリカの地で子どもを持ち、アメリカ市民として英語ペラペラの子どもを育てていく……。多くの場合彼らの英語には強い訛りが残っていて、何を言っているのかよくわからないこともあるが、彼らの姿はまさに「わたし」なのだ。

わたしは彼らに日本語で話しかけてみたりする。彼らのなかに、どの程度「日本人っぽさ」が残っているのか探ろうとしてみたりする。日本のどこで生まれ育ったのか聞いてみたりもする。

そして、彼らと自分の距離を測る。

「ああ、日本人だなー」っていう人もいれば、「まるっきりアメリカ人やんけ!」っていう人もいる。それを知ってどうなるっていうわけでもないのだが、とにかく、その行為は、まるで儀式のように無意識にやってしまうものなのだ。

わたしは、彼らのなかに未来の自分像を見ているのかもしれない。

自分が「アメリカ」にとって、どんなピースになっていくのか。

既に「アメリカ」となった彼らを通じて、はかっているのかもしれない。