#あたシモ

虹の向こう側

シェアハウスに住んだ話

今でこそシェアハウスとかって結構流行りみたいだけど、シェアハウスって結構昔からある。

まきむぅもシェアハウス住んでたんでしょ!

同居人は32人! 大所帯のシェアハウス|同居人の美少女がレズビアンだった件。|小池みき|cakes(ケイクス)

わたしも、昔いわゆるシェアハウス(というかゲストハウス)に住んでたんだよね。

怪しさ満点のシェアハウス

今でこそおしゃれでしっかりしたシェアハウスがあるらしいが、わたしの住んでたのはそういう今風のシェアハウスではなくいわゆる「外人ハウス*1」というゲストハウスで、日本に保証人がいない人や、敷金礼金が払えない/払いたくない人でも住める物件だった。外国人が多かったが日本人も半分くらいいた。当時いわゆる「外人ハウス」の中には日本人お断りのところもあったが、そこは日本人でも住めた。そして、ものすごーく怪しかった。まず建物の外観が異常。原色のペンキで塗りたくられた建物は壁一面「壁画……?」のようなアートでびっしりうめつくされている。ラウンジには、ガラムとお香と、動物園の混ざったような香りが立ち込めており、建物の外には「国際交流サロン」「無料で英語が学べる」などの謳い文句が掲げてある。しかも同じエリアに似たようなハウスがいくつも建っていた。近隣住民からはどう見られていたのだろうか。これは完全な憶測だが、この会社は当時宿泊施設としての許可を取っていなかったのかもしれない。そこで、「国際交流」などの謎の事業目的を建前として掲げていた……とか?しかし実態は、一泊からも泊まれる宿泊施設であり、また敷金礼金保証人なしで入れる格安アパートみたいなものだった。

↑そのハウスを知ってる人は、こうやって書くと「あそこか!」って分かると思う。そうです。あそこです(笑)

まきむぅのシェアハウスは32人って書いてあるけど、うちのハウスは、20人くらいだったかなかな?結構入れ替わりが激しかったんで、これがメンバー!て感じじゃなかった。固定メンバーが10人くらいで、半分くらいが入れ替わる感じかな。私は一年くらい住んだ。

部屋

一応、せっまーい個室があり、下駄箱、キッチン・トイレ・バス・リビングルームはシェアになっている。一応キッチン用品や家具は揃っていて、身一つで転がり込んでも生活できるようになっている。寮みたいな感じかな。家賃は6~7万円くらいだったかな?しかし、その外人ハウスは、毎日ビルの掃除をすると家賃が無料になる!という低所得者に嬉しい制度があった。

掃除

掃除は、大体2階~3階建て(棟によって異なる)の建物の廊下・トイレ・シャワー・キッチン・リビングルーム・階段を毎日掃除する。モップ・洗剤などの清掃用具は支給され、特に監視などもない。ちゃんとやると数時間かかるし、身体も疲れる。しかし、ハウスに住むいろいろな人と会話をするいい機会だし、割と楽しい仕事である。

階段や廊下はスプレーしてモップで吹くだけなので楽だが、大変なのは、キッチン・トイレ。あとシャワー!シャワーは大体一棟に3個X階数分あったが、皆使い方が汚い。排水口は髪の毛で詰まっているしヌルヌルするし。なんといっても一度「うんこ」が放置されてたことがあった!おえーーーっ!このシャワーを使っているのは毎日キッチンやリビングで顔を合わせている仲間。いったい誰がうんこを放置しやがったんだ(激怒)

恋愛

ハウスでくっつく男女は多い。というかそもそもわざわざハウスに住む日本人は、「外国人と知り合いたい」とか「外国語を話したい」という人(あと、敷金・礼金が払えない/払いたくない人)が多いので、積極的に他の住民と交流する。その結果くっつく。結婚するカップルもいるし、部屋から部屋へと恋人を乗り換える女の子もいた。

騒音

建物の造りは悪く壁も薄い。冬は寒く夏は暑い。もちろん、会話などは筒抜け。電話している相手の声まで聞こえるくらいである。いつどこで誰がセックスしてるとかも、まるわかりである。←でもここらへんはどうでもよくなる。シャワーの中であんあんやってたカップルもいた。いいよいいよ。うんこさえ漏らさなければ……。

住民

一番の糧は「住民」との出会いだろうね。わたしにとって、ハウスでの暮らしは「二丁目通い」と並んで、「普段自分が接することのないタイプの人たち」と出会えるすごく貴重な場所だった、日本語検定のために勉強していた中国人、日本語ペラペラの陽気なスペイン人、イケメンでプレイボーイのイタリア人、インテリだったイギリス人、一部屋に4,5人で住んでて、他の住民と全然交流のなかったスリランカ人たち、合法違法あらゆる方法でハイを極めるバックパッカーたち、ヒッピーっぽいのに、実は超有名IT企業のエンジニア、大学院生、六本木が大好きな明るい女の子たち、依存症で入院してた人、……名前を忘れちゃった子もいるけど、覚えている。公衆電話で国際電話のかけ方を教えるうちに仲良くなって、ハンカチを貰ったこと、わたしが知り合ったレズビアンの外国人のパーティに一緒に行ったこと、マンガの貸し借りをしたこと、国の料理を作ってもらって皆で食べたこと、リビングルームでアクセサリーを作ったり、映画を観たり、皆で将来の夢を語り合ったこと、近所の寂れた神社に初詣に行ったこと、原チャリで頑張ってドンキまで行くのが……。個人的にはこの頃は、いろんな意味で辛くて、普段思い出さないようにしている「黒歴史」なのだが、こうして書いていくと、けっこうよいこともあったし、面白かった。ここですごした日々のことは、きっと一生忘れることはないだろう。

世界中にいる皆、元気かなー?

ところで、このハウス。今もあるかと思って調べたら、ゲストハウス運営に加え、「貧困者の救済」をテーマとした貧困ビジネスを始めていた。実際に今どうなってるのか雰囲気はわからないけど、少なくとも、日本に行っても「あそこに行けば大丈夫」という場所があるのは何となく心強い。

*1:「外人」は差別語だが、当時このように呼ばれる、外国人が多く滞在するゲストハウスが東京にはたくさんあったのであえて使った