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#あたシモ

虹の向こう側

トランプ支持者に反論するのは「彼の”政策”に同意しないから」ではない

photo by Michael Vadon

週末は、美少女Honの家で引っ越しパーティーだったのだが、途中で彼女がドナルド・トランプを支持していることが分かり、場はお通夜状態に突入。いちおうその場では、なぜトランプを支持しているのか、話を聞いたり、その理由とされる点などに事実誤認があるなど、反論しようとしたけれど、そもそも事実や論理に基づいた議論をしていない人に対して、そうじゃないことをしようとしてもダメなんだよね。イルミナティーとか言い出すからね……。オバマ政権の評価についても、「オバマケアで自分の自己負担額がいくら増えた」とかそればっかり。全体的に「どういう社会に住みたいのか」という視点が抜けている。

でも、実はわたしの友達にはトランプ支持者が複数いる。皆クィアで非白人だ。そして「人生いろいろ。トランプを支持する人にとってはトランプはよい候補者なのだ」一本槍。むしろ、トランプを批判し、トランプ支持者を批判するリベラルの方が「寛容じゃない」みたいな言いようである。「リベラルって人の意見に耳を傾けるんじゃなかったの?トランプ支持者を馬鹿とかいって馬鹿にしているうちはリベラルは尊敬されない。人と人の違いを認め、多様性を大事にしよう」的な感じ。もうね、一体どっから突っ込もうかなと。

「意見はいろいろ」じゃない時もある

「意見はいろいろあってよい」とか「どっちもどっち」というのは、差別とか人権については通用しない。差別的な発言に対して「そういう意見もあるよね」とニュートラルに構えることは、差別を肯定することと同じだし、そういう意見を尊重しろというのも、抑圧的でしかない。いじめと一緒。見せかけの中立性の下で、人がどんどん死んでいくんだよ。

ここで問題になっているのはトランプの個別の「政策」じゃない。トランプがプランドペアレントフッドを支持してるとか、「実はクルーズと比べたら中道より」だとかそういうことでもないんだよ。信じるべき原理原則が、あるとわたしは思っている。具体的には、基本的人権とか、平等とかね。トランプの言ったりやってるしてることは、そういう原則に反論する。

多様性」でトランプを擁護するのは馬鹿げている

多様性は素晴らしいものだし、それがアメリカを偉大にしてきたものだと思っている。だから、わたしは、様々な意見を持つ政党が存在することは素晴らしいと思っているし(一つしか政党ない国とか怖い)、皆が自分と同じ意見を持つべきだとも思っていない。だけど、誰かが「平等」とか、そういう基本的なところを踏みにじる差別的な発言や行動を平気でしていたら?その時は「いろんな意見があるよねえ」じゃなくて、声をあげ、立ち上がるのが自分の義務だと思う。だって放っておいたら、またナチスの人種隔離政策みたいなことがおこるかもしれないよ?日系アメリカ人の収容所だって、おこるかもしれないよ?「あれは間違いだった」と思っているなら、今この瞬間、同じ間違いを起こさないようにしなければならない。

実際にそこで何かを主張したことで、人の意見を変えたりすることはできないかもしれない。でもそこで黙ってニコニコしていることはわたしにはできない。それが「多様性」なの?わたしは違うと思うし、それをすることが「オープンマインドじゃない」というのなら、それで結構。わたしは人種差別に対して寛容じゃない、心が狭い人間で構わない。

あと「多様性を大事にしよう!」という言い分のもとに、トランプ批判を封じようとするトランプ支持者に考えてほしいのは、トランプは本当に多様性を大事にしている存在なのか?ということ。移民を排斥し、一緒くたにしてテロリストやレイピスト扱いする彼は多様性を大事にしているのか?

「アメリカをもう一度偉大な存在に!」というのがスローガンのトランプだけど、彼らはアメリカを「偉大*1」にした要素を、すべてぶち壊そうとしている。

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*1:もし、アメリカが偉大なのだとして