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アメリカで働くレズの徒然

超ディープなLA体験!日系人の心の故郷「ボイルハイツ」にある「お富さん」で食べてみた

皆さん、こんにちは!エミさんと一緒にボイルハイツにある日本料理屋「お富さん」に行きました。

ボイルハイツとは?

ボイルハイツは、ロサンゼルスのダウンタウンから東に約10分ほど行ったいわゆる「イーストLA」と呼ばれる地域です。現在では「ここ、メキシコかな?」というくらいスペイン語が飛び交う、エキゾチックな雰囲気が楽しめる地域になっています。

そんなラテン系の街にある「お富さん」という日本食屋。

Yelpではなかなかの高評価。

看板からして独特のノリを醸し出しているのだが、中に入るともっと濃い。和風のおみやげものがびっしり!

なんというか「レトロ」。

ウマミバーガーとか、ゲイシャハウス的にモダンレトロ風を狙っているのではなく、本気でレトロ。

なかには常連風のお客さんが数人。全員、ガーデナによくいるような「英語しか話せなくなってきている」日系人ではなく、日本人(在米歴が長い邦人)という感じの客層。ボイルハイツはラテン系の街だとばかり思い込んでいたが、実は日本人が結構いるようです。

女将も日本人。普通に日本語が通じるし、店内では日本語のテレビが流れている……。

トーランス(トヨタやホンダ本社がある街)では珍しくもないこんな風景を、何か奇異に感じてしまうのは、これが「ボイルハイツ」だからか……。

与えられたナプキンは一枚だけw

しばらく待った後、運ばれてきた料理。女将がよそってくれる味噌汁と白米は日本風(というか目の前でよそってくれるので。友達の家で振る舞ってもらってるような感覚w)でした。

非日本人の経営する和食屋に行くと、焼き魚定食を頼んでも、「大根おろし」がついてこなくてイライラすることがありますが、ここはしっかりと大根おろしがついていました。

それにしても、なぜ、こんなところに日本食レストランが?

そう思って調べると驚きの事実が発覚しました。

ボイルハイツは、昔日系タウンだった!

なんと、ボイルハイツは、数十年前はリトルトーキョーで働く日本人たちが住む日系タウンだったのです。そして、その日本人コミュニティに支えられて「お富さん」は1956年に開店したそうです。今も近所には金光教や立正佼成会などの施設があるのだとか。

ボイルハイツを知らないと驚きも伝わらないと思いますが……驚きでした。

意外な「元日系タウン」

同じように「意外な元日本人街」というと、クレンショー地域もかつては日系の隔離地であった影響で、日系タウンだったそうです(今ではまったく様相が変わり、クレンショーxエクスポジション〜スローソンあたりは黒人が多いエリアになっています)。また、オレンジカウンティのハンティントンビーチには19世紀、日本人街があり、さらには今では高級住宅地として知られるパロスバーデスも、かつては、日系の農園が広がっていたのです。しかし、彼らは第二次世界大戦中に、強制収容所に入れられることになりました。今では、彼らの名前は歴史を記念するものとして地名やレストランの名前に残るばかりです。もちろんサウスベイという土地柄、今もここに住む日本人は多いですが、高級住宅地となった後にすみついてきた彼らと、戦前からこの地で農業を営んでいた日本人とではまったく雰囲気が違います。昔のパロスバーデスはどんな感じだったのだろう?古い資料の地図や写真を見ていると、想像が膨らみます。はるか昔にこの地に移住し、生き抜いてきた「日本語の名前を持つ移民」のコミュニティのことを考えると、励まされるような気分になりました。

40 Families Story | Palos Verdes Library District

↑パロスバーデスペニンシュラにいた日本人家族たちの歴史をまとめたプロジェクト。

これからどうなる?今の日系タウン

今現在日系タウンとして知られているのは、ソーテル、リトルトーキョー、トーランス、アーバイン、コスタメサあたりだと思いますが、これも、時間が経つほどにどんどん変わっていくのでしょう。既にソーテルとリトルトーキョーはジェントリフィケーションにより、バリバリのヒップな場所に生まれ変わりつつあり、徐々に「日系タウン」とは言い切れない感じになってきてます。リトルトーキョーには、お富さんに雰囲気が似た「えっ」というくらいレトロで面白いレストランがいくつかありましたが近年次々閉店しています。

すでに、ファウンテンバレーやガーデナなどは、今も多少の日系タウンらしさは残るものの、「一昔昔のレトロな雰囲気の残る日系タウン」になりつつあります。あまりに日本人が多いためかつてLAウィークリーに「48番目の都道府県」と称されたトーランスも今後トヨタの移転完了と共に変わらざるを得ないでしょう。20年後は、「え、ここに日本人が住んでいたの?」というエリアになっている可能性だってあります。

街の変遷って面白いな。

スペイン語が飛び交うボイルハイツの中にぽつりと残る「お富さん」に別れを告げ、そんなことを思いました。

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