#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

R.I.P...チェスター・ベニントンの追悼に行ってきた!

今日、ロサンゼルスのダウンタウンでチェスター・ベニントンの追悼式があったので行ってきた。黒い服に身を包んだファンが集まり、スピーチやバンドによる演奏など、思い思いのやり方でチェスターの思い出を語り、シェアするというエモーショナルな集まりだった。

チェスターは、人気バンド『リンキン・パーク』のフロントマンだったけれど、今年の7月20日に自宅で命を絶っているのが発見された。大物アーティストの訃報が続く近年のなかでももっとも衝撃を受けたニュースだった。

リンキン・パークを初めて知ったきっかけは何だったのか……今となっては覚えていない。その時わたしはまだ日本にいて、自分の将来が何なのか?何をやりたいのか?「夢」を探し、その実現のためにもがきながら、精神的などん底から這い上がろうとしているようなそんな時期だった。

まさに、自意識過剰で、パラノイア気味で、いつもビクビクキョロキョロして、後ろを振り返らずにはいられない感じで、 頭の中で嵐が吹き荒れているような感じだった。それからアルバムを全部買ってずーっと聞いていた。ホント、当時、他に聞いていたアーティストを思い出せないくらい、朝から夜まで、ずーっと聞いてた。まじで、アルバムの全ての曲が好きだった。

激しさと静謐さ。荒々しさと繊細さ。一見相反するような要素を包み込む幅広いチェスターの歌声と表現は「自分のいる場所(Somewhere I belong)」を探し求めていたわたしのこころにフィットしたんだよね。

それから元カノとつきあうようになって、カラオケでマイクとチェスターの役割分担をして、なりきって「シャーラーップ!」とか絶叫しながら歌うのがうちらのストレス解消だった。アメリカに引っ越す前にもアメリカが大好きで、ロードトリップでかけたのもリンキン・パークの3枚のCDだった。

リンキン・パークの歌詞やサウンドはいくら怒りに満ちているように見えても、その感情の発露に心身をシンクロさせることで、わたしは自分を焼き尽くすことなく、生き延びることができた。心の中にこびりついていた痛み、怒り、不満、孤独……。リンキン・パークを大音量で聴いて、「無」になることで、壊れそうな自分を忘れることができた。

それから、就職して、アメリカに引越し、自分の生活は変わった。カムアウトもした。人生に求めるものも変わり、聴く音楽が変わってきた。リンキン・パークも聴かなくなったわけじゃなくて、直近のアルバムも聴いてはいるのだけど、Spotifyで聴くような感じだった。なんだろう。音楽とのつきあい方も変わってきたんだよね。一つのアーティストのアルバムを通して聴くことが少なくなって、プレイリストとか聴くことが中心になってきた。

でもでもでも。まるでリンキン・パーク中毒のように、何度も何度もアルバムを繰り返して聴いたあの頃のように聴くわけではなくても、リンキン・パークは、ずっとわたしの中で大切な人生の一幕にいてくれた存在であることに変わりはなかった。チェスターの歌声があったから、それに支えられて生きることが出来てた。そういう時間が、確実にあったのだ。

リンキン・パークのライブはこれまで2回観た。武道館で1回、そしてアメリカのフェスで1回。思えばもっともっと観ておけばよかったね。もっともっと観たかった。いつでも、もっと観られると思い込んでいた。

今年、誕生日のプレゼントとして親友がプレゼントしてくれて、3回目のライブに行く予定だった。10月のハリウッドボウル。もう一度会えると思っていたのに。いつでも、そこにいてくれると思っていたのに。再生ボタンを押せばいつでも聴けるみたいに、「いてくれる」ことが当然だと、いつの間にか思ってしまってたんだ。でもそうじゃなかった。

あなたの心の中に何があったのかは知らない。想像しかできない。でもそれは想像にしかすぎない。皆、想像はできるから、好きなことを言っているけど、わたしはわからない。

ただ言えることは、「今まで、本当にありがとう」ということ。そして安らかにお眠りください。また会える日まで、あなたはずっとわたしの心のなかにいます。

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