#あたシモ

虹の向こう側

ソロキャンプとか単独山歩きの時に感じる不安に、ジェンダーってどの程度関わってるんだろうね?って話

皆さん、アウトドアは好きですか?

わたしは好きです!

YouTubeでキャンプ動画なんかもよく見ています。サクサクいう落ち葉を踏む音、ちょろちょろ流れる水の音、パチパチという焚き火の音…。癒されますよねー。

で、「ソロキャンプよいなぁー、自分もやりたい」と思った時に、すぐできるかどうか。いや、できるし、してる人はいると思うんですけど。そこで、迷いなく「やろう!」と実行できるか、ためらってしまうか。そこで、実はジェンダー差があるように思います。

これって、本人のやる気とか、心持ちとかじゃないんですよね。社会的にどう扱われるか、どう見られるか、という問題なので。

わたしが「それ」を一番初めに感じたのは、大学の時でした。当時から長野とか奥多摩とか、軽いハイキングを一人でするのが好きだったわたしなのですが(友達いなかったともいう)徐々に山道を一人で歩くのが怖くなってきたんです。「今、ここで、襲われたら終わりだな」と。完全に山奥で声を出しても聞こえないし、走って逃げても限界があるし、戦っても負けるし、今ここで変な人に出会ってしまったら、完全に詰むなと思ったわけです。

そして、それは自分の性別と関係してるような気が、わたしにはした。それは「女だからって関係ない」と何でもやってきたわたしにとってはじめての不安でした。そして、わたしはそんな風に感じてしまう自分が嫌だった。なんだろ。それまでの人生、性別なんて気にせずやってきた高校の頃からヒッチハイクしたり、一人で海外旅行したり、割と好き勝手やってきた。でも、ある日「ここで男に襲われたら、敵わないな。自分は女だから」って意識が芽生えてしまったんです。悔しかったです。

まあ、男性だってそんなシチュエーションで不審者に合えば超怖いし、男性がアウトドアで襲われたり殺される事件だってあります。わたしが、感じる不安がどこまで本当に「女性だから」生まれているものなのかはわかりません。もしかしたら、わたしが意識しすぎている可能性はあるわけです。

でも……やっぱわたしは「あー、男だったらガンガン野宿とかするのにな」とか思ってしまったんです。←サークルの先輩とか、みんな割と野宿したり駅で寝たりしてた。

さて、その頃、わたしは学校でジェンダーのクラスをとってました。そこではかなり皆仲良く「ゲイなんです」「僕実は童貞なんです」とかワイワイ自分の性の悩みを語り合ったり飲んだりしてました。蔦森樹さんが講師でいらっしゃったこともありました。

男でもなく女でもなく―本当の私らしさを求めて (朝日文庫)

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そんな時、そこで仲良くなった童貞男子に「ジェンダーって、自分で意識したくなくても、社会の目とかによって、意識せざるを得ない状態になる時ってあるよね!」みたいな文脈で、この「山で覚えた恐怖感」について話したのです。

そうしたら、彼はプンスカ怒り出しました。

「そうやって『女にしか感じられない恐怖感がある』みたいに言うのは性差別」と言いだしたのです。ええー!わたしは怖くなって黙ってしまいました。

わたしにとって、そうやって「男の外見を持った人」から怒られることは何かちょっと怖くて、嫌なことでした。でも、彼も、自分が男だからって、道端で出会った人に怖いと思われたり、逆に「男は怖さを感じないのでは」と決め付けられたりするのはものすごく嫌だったんだろうなと思います。

でも、本当に性別なんて関係ないんだろうか?

社会で女として生きてきた人と、男として生きてきた人では、絶対に世界の見方が少しずつ変わってきてしまう。それこそが、ジェンダーが社会的な構築物であることの反映なのに。何でもフラットにオープンに話せたはずの場所で、頭ごなしに「間違ってる」と言われたことの恨みは、今でもわたしの心の中に残っているのでした。

なぜ女は男をみると痴漢だと思うのか なぜ男は女の不快感がわからないのか―痴漢大論争!

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