ロサンゼルスで、アジア系を始めとする有色人種系の演劇を支援し続けているEast West Playersが、宝塚をテーマにする芝居をするというので観てきた。場所は、リトル東京。ここは前にも、鎌仲ひとみ監督の『ミツバチの羽音と地球の回転』の上映や、アジア系コメディのDis/Oriented で来たことがある場所。
ストーリーは、1976年の八戸から始まる。 父親とお茶を飲みながら、一年前を思い出すユミコ。ユミコはかつて「ミカゲユウコ」という宝塚のトップスターだったのだ。
舞台は1975年の宝塚にフラッシュバックする。女性だけの歌劇団宝塚のドキュメンタリー製作のため取材に来たBBCの記者パーカーは、熱狂的なファンジュンコのインタビューや、舞台裏で運営を支えるアリヨシへの取材などを通じて宝塚の魅力を探っていく。なかでも彼の興味を捉えたのが、人気絶頂の男役スター「ミカゲユウコ」だった。ユウコは娘役のチフミとまるで本当に惹かれ合っているような舞台を演じて「完璧な男」として人気を博しているが、引退が近いとささやかれている。次のスターとなるのは「ルイ」。サヨナラ公演が近づく舞台裏ではユウコは以前劇場で自殺した男役のスターが自分にも取り憑いてように感じるようになっていた……。引退後のユウコは、田舎町に引き込むが、熱狂的なファンの訪問を受け「もう一度舞台へ」という夢を持つようになる。もちろん舞台は宝塚しかない。酔ったアリヨシから電話を受けたのを真に受けてもう一度宝塚に行くが……。
1975年〜1976年の宝塚・八戸・そしてロンドンを舞台にしたこの芝居は、とても野心的な脚本で、いろいろな要素がてんこ盛りにされている。
宝塚について、日本文化について、ジェンダーについて、役者のイメージと実像について、そして芝居が人に与えてくれる力についてなど。
ユウコが、「ステージ上のユウコ」と「ステージ以外のユウコ」二人の役者で演じられていたり、場所や時間が飛び飛びになる結構複雑な要素なので、正直、やや混乱するところもあったが、それはわたしの理解力/観劇力/英語力の問題かな……。宝塚のステージの表現も、もちろん本物の豪華絢爛さとは比べ物にならないものの、衣装とか感じとか、雰囲気は出てたし、何より日本語でちゃんと役者が歌ってるのはすごかったかと思う。←しかし役者は非日本人ばかりで、訛りがすごくて笑いそうになった。歌詞の意味は、英語字幕で表示されていた。しかし、この脚本書いたSusan Soon He Stantonは日本とか宝塚のことをよく知ってるなーとかなり感心した。もともと知ってたのか、この脚本のためにリサーチしたのか知らないけど。ステロタイプな描き方もところどころあるが、分かってないなーという感じではなく、結構納得できる感じだった。
あとすごかったのが、「宝塚の大ファン」ジュンコを演じたJoy Regullano!彼女は、「ホワイトフェティッシュ」というアジア人女性がよく受ける差別を反転したコメディ動画で有名になったユーチューバーのコメディアンで、UCバークリー出身。
この動画も面白いんだけど、彼女はホントにすごかった。彼女がステージに出てくると、コンテキスト抜きで、もうその場のアテンションが、彼女に一気に集中しちゃうのね。結構シリアスな舞台なんだけど、彼女が出てくるたびに、爆笑しちゃって、ちょっと芝居全体が「あれ、これってコメディだったっけ……?」ってなっちゃう。そういう意味では、ちょっと浮いてたといえなくもないけど、まあ彼女の存在感は主役を食いまくっていた。
アジア系女性のコメディアンでいうと、スタンド・アップコメディのJenny Yangとかいるけど、Joyもこれからウォッチしたい存在になりましたー。
あと普通にうまかったのは、Michael Hagiwara。彼は三役を演じたんだけど、演技がうまい。これもJoyとは違う感じで、すごくしっかりした存在感だった。
主役たちは頑張ってたと思うけど、やっぱり「宝塚」のトップスター……という目で観てしまうので、ちょっと厳しくなってしまった。宝塚の人って皆すごく背も高いし足も長いし、顔もいいしオーラ凄いもんね!
しかし今回ほとんどの観客がそうだったろうが、私は肝心の宝塚の舞台を一度も観たことがない(汗)この舞台は、日本文化や、宝塚という存在を知らない観客に向けての説明がかなり入ってて、私はそれを素直に受け取りながら観たが、宝塚の大ファンがこの舞台を観たらそれはそれでまた違った感想があるんだろうなとは思う。私は昔、男装に対してそこはかとない嫌悪感があって(おそらく自分のセクシャリティと折り合いが付けられてなかったせい)、オスカルとかリボンの騎士とか全部苦手だったし、宝塚のこともなるべく考えないようにしてきた。しかし、この芝居を観たあとは、一度本物の宝塚歌劇を観たくなった。