「似てない家族」で全世界的に話題になってしまった台湾のモデルが、BBCにまで取り上げられていることを知った(参考記事)。
「夫に整形していないとの嘘をついていたことがバレて離婚する羽目に」などの情報が本人についての話だとまことしやかに囁かれるようになり、公私ともに悪影響があったので、広告代理店と、整形クリニックを訴えているという。
自分について真実と異なる情報が広まるのは嫌なのはわかるが、それにしても「わたしは整形していない。でも誰も信じてくれず、小さい仕事しか取れなくなった」という涙ながらの訴えからは、「整形していない方が上」と言う価値観が感じとれて不思議に思った。
これは、「整形はしていない」と主張する彼女だけでなく、「整形してるんじゃないか」と言うことで彼女を雇わない各プロダクション側の人間もそうだし、「芸能人の〇〇疑惑!」などと言うゴシップに飛びつくわたしたちにも言えることだ。
同じ外見をしてるのに、なぜ「生まれた時からその顔」な場合と、「整形した結果この顔」とでは扱いが異なり、前者の方が偉いことになっているのか?
本当に外見の美しさだけを見て判断するなら、整形だろうがなんだろうが、美しければなんでもよいはずだ。モデルが過去に整形しているからといって、撮影時に求める外見をしてくれるならよいんじゃないの?でも、ダメなのだということは、彼らの求めてるものは、なんなる「キレイさ」ではないのだ。彼らはキレイさ、そのものではなく、「生まれた時からキレイだった」と言う事実を重んじる。
整形を嫌う人は、きっと、美しさを人の優秀さと結びつけて考えているのだろう。だから、本来であれば「醜い」はずの人が、人工的な美しさを得たことに「ごまかし」や「嘘」を感じてしまう。または、生まれた時からの「本来の」外見序列のままなら下位にいたはずの人が「整形」と言う手段で順位を上げるのに脅かされる思いを持つのかもしれない。
外見重視なくせに、整形やメイクアップなどに対して冷淡な目を向ける社会では、生まれながらにして凡庸な外見に生まれついた女性は詰んでいる。だからと言って整形がメイクアップなみに広まり、「どんな手段を使っても美しく装うべき(そうしない人は怠け者)」的な社会通念が広まるのも悪夢だ。
整形へのプレッシャーも、整形へのスティグマも、根本には外見重視な社会や、美しさ=優秀さという思い込みがある。それを何とかしないで、整形を、整形する女性自身のみの問題として語るのは欺瞞だ。
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