Linkin Parkのアルバム『ワン・モア・ライト』を聴きながら運転していた。
もうひとつの光。
車の中って、音楽とピュアに向き合える貴重な時間だ。運転しながらではあるけれど、耳は完全に音楽に集中している。そして、どんなに大音量で聴いても文句を言われない。
車を運転するようになって、音楽がもっと好きになった。
アメリカにまだ引っ越す前、アメリカが好きで大好きで行きまくってた頃。長い時間をかけてロードトリップをした。その頃聴きまくっていまCDの中に、リンキンパークの初期のアルバム3枚が入っていた。
真夜中のシアトル、寿司屋の前で荷物を詰め込んで出発する時、男友達に何をかけると聞くとリンキンがいいねと言った。大音量でハイブリットセオリーを流して笑いながら合唱した。
それからまだアメリカに引っ越す前、武道館で行われたライブにも行ったことがある。爆音なのにメロディアスで、激しいのに繊細で。もうその頃はいつでも好きなアーティストを聞かれるとリンキン・パークだと答えていた。
やがて時は経ち、リンキン・パークの新作を追うこともなくなり、あれほど大好きだった旧作も、あまり聴かなくなっていた。去年前半、友達がこの新作を(めっちゃいいから聞いて)と言ってくるまでは。なんだ、懐かしいな、と思った。もちろん、リンキン・パークはわたしの中で「フェイバリットアーティストのひとつ」であることに代わりはなかったのに。ものすごくポップになったリンキン・パークの新作を聞いても、わたしはショックを受けなかったし、別に、ロックじゃなくなったことが嫌だかも思わなかった。つか、もともとポップなの好きだしな!でもなぜだろう。わたし好みになったはずの、時にまるでジャスティン・ビーバーかよ?っていうくらい軽やかな、リンキン・パークの音楽は、いつからかあの頃のような切実を私の胸にもたらすことはなかった。
2018年、チェスターがもういない年が始まった。
このアルバムを、今更好きだなんて言う事は何かとても卑怯なような気がするし、事実に反するとも思うから、んなことは言わないよ。でも、あの日、ダウンタウンの夕暮れ時、チェスターの追悼イベントで繰り返し繰り返し、チェスターがまるで少年のような無垢な声で歌い上げる『ワン・モア・ライト』を聴いたとき、その曲が、それまでよりとは全く違う意味を持ってるのを感じてわたしの身体は震えた。Spotifyで流し聴きしてた時より、ずっと鋭く、チェスターの紡ぐ歌詞が突き刺さってくるのを感じずにはいられなかった。
Who cares if one more light goes out?
In the sky of a million stars
It flickers, flickers
Who cares when someone's time runs out?
If a moment is all we are
Or quicker, quicker
Who cares if one more light goes out?
Well I do
友人の死について歌ったこの曲が、自分に当てはめられると、チェスターは本当に想像しなかっただろうか?もちろん彼が死を予期していたなんて、言うつもりはサラサラないのだが……このディスクを車の中で繰り返し聴いている今、本当に、このアルバムには死の影が濃く滲んでいる気がして、ゾクゾクしてしまった。
そして、残されたわたし達は皆、チェスターから預かった謎を解こうとでもしているかのように、その曲を何度も何度も聞いて解読しようとした。
Nobody can save me.
とかさ…。
きっと後付けだし間違っているんだろうと思いながらも、邪推することが止められなかった。
しかし、この同じ作品を未来への希望だと、生への意欲だと解釈する人がいるのはそれはそれでわかる。間違いでもないだろう。アルバムの楽曲を作ったのはマイク・シノダをはじめとするチェスター以外のメンバーだともいうし。
それにそれにそれにリンキン・パークは、迷い傷つきながらも、生きるために希望を見つけ、戦い続けてきた。彼らはハイブリッド・セオリーとか、メテオラのヒリヒリするような混沌をくぐり抜けて、ここまでたどり着いたんだ。だから……。彼らの歌はこんなに心に染み渡るのだ。