Micというメディアではじまった*1トランス向け悩み相談「トランスプレイニング( Transplaining )」がよかった。←ちなみにこのタイトルは、わかる人はわかると思うけど、マンスプレイニングのパロディね。わからない人は、これを読んでみて。
さて、トランスプレイニングコラムの初回は「身長が高く、顔も男っぽいため『パス』することができません。今後、パスすることができないという現実とどう折り合いをつければよいでしょうか?」というトランス女性からの悩み相談。
トランスコミュニティの中では、社会の中で、自認するジェンダーの持ち主として「違和感なくパスできるか」問題というのはしばしば大きな問題となる。
その問題をどう扱うか。この記事を読んで色々考えさせられた。
といっても、「トランス当事者自身がどう考えるべき!」というのはは、シスジェンダーであるわたしがアドバイスしたりできる問題ではない。
ここでは、シスジェンダー側が「パス問題」をどう扱うべきか、考えてみたい。
シスジェンダーを「ノーマル」とする社会では、トランス女性を褒めるつもりで、「女らしい!」「女にしか見えない!」とパスしてることを、まるで承認の証として使ってしまう時がある。
「トランス慣れ」していない社会では、人々はそこそこ「パスしてる」トランスの人に対しては、しっかり落ち着いて、敬意を持って接することができる。しかし、「パスしていない」人や、既存のジェンダー枠組みから明らかに外れるような人を目の当たりにすると、どうしたらよいかわからなくなる時があるのではないか。お恥ずかしい話だが、わたし自身さまざまなクィア系のイベントに参加して、そんな戸惑いを感じた時はあった。
そして、以前のわたしは、その戸惑いは、「どっちつかずな相手」のせいでもたらされると思っていた。でも、本当は違う。その戸惑いは、ジェンダー二元論に凝り固まった自分の脳みそ、「ほぼパスしてる」トランスジェンダーとしか接してこなかった自分の視野の狭さから、もたらされていたのだ。
トランス女性には、トランス女性の美しさと魅力がある。これは「トランスらしさ」こそが魅力とか、トランスチェイサーみたいな意味で言っている訳ではなく。トランスに見えるとか見えないとか、ネイティブで通用するとかしないとか、そーゆーのを超えて、「誰もがその人らしい美しさを持っている」と言う意味で。
EmilyにはEmilyの美しさがあるし、FionaにはFionaの可愛らしさがある。
それを「まるでネイティブ女性みたいだね」という切り口でしか褒められないのは、語彙が貧困だし、本当にもったいないことだと思う。
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*1:※下書きで眠っていた原稿なので若干古いです。はじまったのは最近ではなくかなり前!