#いざとなったら私が養います系総合職女子
ツイッターでバズってたこのタグを見て、超もやもや。
いや、いいんですよ。養ってもらうのが当然だと思ってる人より、ちゃんと自分のキャリアを築いてる人の方が断然素敵だし、「いざとなったらわたしが100パー家計を支えるのもありだから、自分のやりたいことをやりなよー!」ってパートナーに言える覚悟とか実力とか自信とか相手に対する思いやりとか愛とか込められてて、そんな女性、すんごいかっこいいじゃん。と、思った。
しかし、最後の「総合職女子」ってので、え、てなった。何何何、総合職女子って。はじめこのハッシュタグを見たときは、わかるー!こういうのあるある!と一瞬思ったのに、最後で突き放されたような、淋しさを覚えた。
んで、こんなツイートをした。
ここに「総合職」ってついてるのがよくわかんないけど、総合職じゃないと家族支えらんないの?そういうわけじゃないよね?
— ゆにゃん🌕 (@yu_ichikawa) 2019年1月22日
#いざとなったら私が養います系総合職女子
そしたら、総合職と一般職があってー一般職だとお給料低いんですよー的なことを教えてくれた人もいるのだが、うん、流石にそこらへんはなんとなくわかった。←あくまでなんとなく。
多分、総合職じゃないと、「わたしが養うよ」って言いきれるほどの給与は貰えないんだろうな、だから、そーゆー現実を受けてあーゆーハッシュタグになったんだろうな、ってのもわかる。
ただ「現実」の話をするならば、現実には一般職だろうと派遣だろうとバイトだろうとフリーランスだろうと、身を粉にして働いてる女子はいるわけよ。そうして得た給与や貯金で家計を支えてもいい!って思ってる女子とか、実際支えてる女子だっているだろう。
だけど、このハッシュタグは明確に「総合職女子」とつけて。つける必要ないけど、つけたことで、キャラをさらに際立たせて、クッキリと差別化を図ってる。
もっと考えちゃうと「いざとなったら」→いざとならない時は家計を支えたりする必要のない余裕が垣間見える。普段から生活のことを心配しなくていい、要は仕事もできるけど、基本「基盤のある女」©︎Very だよな、とか色々引っかかってきて。なんでそんなことここでアピールして断絶するんだろ、そこまで、そこのアピール必要なの?って。
当初感じた淋しさが、徐々にイライラに移行してきた。エリートアピールというか高収入アピールが鼻につくというか。ま、嫉妬ですな!
「養う」→とかも。なんか嫌い。パートナーと一緒に生きるって決めた時に、たまたま給与所得取ってくるのがうまいだけだったのに、それが全てをプロバイドしてるみたいな言い方。支える、とかさ。言い方あるやん。
どっちが養うとかじゃなくてさ。お互い自分に出来る範囲で貢献しながら身の丈にあった生活をしていく、ってのじゃダメなの?もうこれからはひとりが家計を支えて、もうひとりが家を守る、みたいのもう無理だと思うんだよね、それが男とか女とか関係なく。
だいたい、結婚中に得られた収入は配偶者のおかげという考えに基づいて基本共同財産とされたりするんだぞ。←この前Amazonのベゾス夫妻の離婚で話題になりました。人はさ、ひとりで稼いでいるわけではないし、ひとりでみんなを養う、なんて考えなくてもよいと思うんだけどね。
P.S. このタグ、もともとはブスは一般職になれないとかいうののカウンターとしてはじまったらしい?と教えていただきました。これもヒドい話ですな。一般職は見た目で採用されるってことですかね?それもヒドいし、そのヒドさを「ブス呼ばわりされた総合職対一般職」みたいな構造として捉えることも、またヒドすぎる。