#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

当たり前のように「結婚」できる人に「結婚しなくても幸せになれるこの時代」とか言われたくないのよね

一部で何やら話題になっていたらしいこのゼクシィCM。偉いだとかスゴいだとか刺さるだとか言われてますが、めちゃくちゃ違和感を覚えた。

ゼクシィのコピーに対してではなく、そのコピーの賞賛されっぷり&皆のはしゃぎっぷりに。

ゼクシィのCMコピーが本質をついていて刺さると話題に「誰の生き方も否定しない」「結果、結婚の価値を爆上げしてる」 - Togetterまとめ

↑ここらへんね。

いや、わたしね、これよいCMだと思ってるんです。コピーもよいと思うし、コピーライターさんが「どやぁっ!」としてるだろうなとw だから「おお、面白いなこのコマーシャル」というところまでは、多分皆様と共有できるんです。でも、その先ですよね。

今、現在、この国で。

結婚をどんなにしたくても、したい相手がいても、法律上できない人がいる。法律婚だけじゃなく、事実婚としての関係すら、認められるかどうかわかんない人たちがいる。

そういう人たちの存在って、なんていうか、全然……「ない」んだなあって。

思った。

このコピーへの賞賛の一つで「誰の生き方も否定してないから良い」っていうのがあったんだけど、確かに、否定はしてないかもしれないけど、かと言って皆を肯定しているわけではない。否定でも肯定でもなく、はじめっから、そこから法律上、排除されてる人がいるんだよね。

別にこの人たちは、誰かを排除しているつもりすらないだろうし、ましてや差別をしてるわけでもない。ゼクシィ側もは別に異性同士の婚姻だけ前提としてるわけじゃなくて、お金になるなら同性間の結婚だって取り上げるだろうし、過去にゼクシィに同性ウェディングが載ったことあるのも知ってる。

だけど、上のコピーへの反応のなかで、当然のように「存在を無視」されている人たちがいる。繰り返しになるけど、「無視してる」というつもりすらないんだろう。無視されてるわけでもないけど、まあ初めっから、想定すらされない、完全に「消されてる」人たちのこと、いつもいつも、消され続けている人たちがいること。そのことをヒリヒリするほど痛感した。

そうやって、「自分」の存在が常に消され続けることが、人間の心にどういう影響を与えるのか、詳しくは知らない。だけど、こういうことを日常的にされ続けることの影響は必ずある。確実に、ある。

LGBTの世界だってそう。おまじないのように入ってても、当たり前のように無視されることが多いバイセクシャルだとか。LGBTってなってるのに、その実シスジェンダーの話ばっかりされてる時のトランスだとか。Aセクシャルだとか。ジェンダー二分法に乗れない人のことだとか。当たり前のように耳が聞こえたり、元気に歩けることが想定される時の、障がい者だとか。「日本人」「日本人」と連呼される横で、実は日本国籍を外国人のことだとか。

私たちは、「消される」と同時に、誰かを消し続けている。その意図があってもなくても。そのことを忘れてはいけない。

そしてそうやって、誰かを「消し」ながらも、「普通に生きていける」という特権を持つ人たちが、自分の持っている特権を持っていない人の前でいじくり回してみせる。これ、別になくても生きていけるんだよね。でも……やっぱりこれ、使おう。

いくら結婚したくても、法律的にそれができない人たちが今存在する現状において「これがなくても幸せになれる」と言い切ることの傲慢さ。すごいよね。もちろん当人たちは正直なだけであって、それが傲慢だとはちっとも思わないだろうし、その人たちの性格が傲慢なわけでもないのだろうけれども。それが手に入らない(入らなかった)立場から見ていると、置かれた立場の不均衡を痛いほど感じてしまい、どうも居心地が悪い。

それだったら、「結婚しなくても幸せになれるこの時代」とかいう前置きなしで、初めから「婚姻にまつわる様々なメリットを利用したいため、わたしたちは法律婚を選びます」って自覚的に法律婚を選んでる人たちの方が、よっぽど納得できる。

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