『攻殻機動隊』のハリウッド実写版である『ゴースト・イン・ザ・シェル』を観てきましたので感想です。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』のあらすじ
近未来。ネットに直接アクセスする電脳技術が発達すると共に、人々が自らの身体をサイボーグ化して、能力をアップさせることを選ぶようになっていた。ロボット技術の最大大手企業であるハンカ・ロボティックス社は、脳以外はすべて義体=シェルの人間を作成するというプロジェクトを秘密裏にすすめていた。両親をテロ攻撃で失い、肉体にひどい損傷を受けた若い女性ミラ(スカーレット・ヨハンソン)はその実験のために選ばれ、ハンカ・ロボティックスの技術者オーレット博士(ジュリエット・ビノシュ)によって修復される。ハンカ・ロボティックス社のCEOカッターは、ミラを反テロ活動のための武器として利用することにした。
一年後、彼女は「公安9課」と呼ばれる脳以外は全て義体化されたエリート捜査組織にて、「少佐」の地位につき、アラマキ(北野武)の下で、バトーやトグサなどとともに、テロ行為を取り締まるべく、日夜任務を遂行していた。完全な義体(シェル)の中にあるたった一つの脳はときにゴーストのように彼女を苦しめる。少佐には時折脳裏に蘇る記憶の断片があるのだが、少佐の義体を修理するオーレット博士はそれを「バグ」だと言い、少佐はそれを抑えるための薬を毎日飲んでいた。
そんな中、ハンカ・ロボティックス社の推し進めるサイバー技術の破壊をもくろんだテロ組織が起こる。事件を解決すべく、少佐は同僚のバトーらと共に捜査にあたる。現場に残された芸者型ロボットはハッキングを受けており「ハンカ・ロボティックスの言いなりになれば、破滅する」というメッセージを残す。
芸者型ロボットのAIに「ダイブ」し、誰がハックしたのか?テロの首謀を調べる少佐だが逆にハックされ、意識を乗っ取られそうになる。間一髪のところで生還した少佐は、首謀者が「クゼ」という男であることをつかみ、得た手がかりを元にヤクザの経営する場末のクラブに潜入する。そこで罠にかかり、爆撃を受けたバトーは目を失い、少佐の体は再び大破してしまう。
ハンカ・ロボティクス社のカッター社長は、自社の有力な「武器」である少佐が危険に晒されたことに激怒し、アラマキに対し「これ以上危険な捜査を行って少佐の身に危険が及ぶならば公安9課を閉鎖する」と脅す。
そんなある日、新たにハンカ・ロボティクス社のコンサルタントであるダーリン博士がクゼによって殺されるというテロが起こる。捜査官たちは、この殺人が、ハンカ・ロボティクス社の他の研究者たちの死とつながっていることに気づき、次の標的は、少佐の産みの親とも言える存在オーレット博士であることが明らかになる。
「クゼ」は二人のゴミ収集労働者の身体をハッキングし、オーレット博士の乗った車を襲う。ロボットの目を手に入れたバトーは一人を殺し、義体を修理された少佐はもう一人を追い詰める。捕まった男が自殺を遂げる前に、クゼが男を乗っ取り、公安9課はクゼの居場所を掴む。
クゼがいる場所には、無数の人間がおり、意識をつなげることで、シグナルネットワークを形成していた。少佐を捕まえたクゼは「自分も少佐と同じようにハンカ・ロボティックス者に作られた失敗作だった」と言い、少佐に自分の記憶を疑うようにと告げる。
少佐は、オーレット博士に自分より前にも同じような人間と義体の融合した存在がいたのかと問い詰め、オーレット博士は、少佐の前に98体の実験があり、少佐が初めての成功例であること、少佐の「両親がテロ攻撃で死んだ」という記憶も、植え付けられた嘘の記憶だということを認める。カッター社長は、真の記憶を取り戻そうとする少佐は危険な存在になったと判断し、少佐を殺して新たな武器を作ろうとする。カッター社長から「少佐を殺せ」と命令されたオーレット博士は、直前にその命令に背き、少佐を逃し、記憶を蘇らせる助けになるとある住所を渡す。カッター社長は、オレット博士を殺すが、それは「おかしくなった少佐のせいだ」と嘘を付き、少佐を見つけ次第殺す命令を出す。
少佐が渡された住所に赴くと、そこには一人の女性(桃井かおり)が住んでいた。
「一年前に娘の素子が逮捕され、自殺した」という女性の話を聞くうちに、感情がこみ上げてくる。彼女こそが、自分の母親であり、自分は「草薙素子」だったのだ。すっかり外見は変わったが何か娘と似たものを感じ、少佐を見つめる母親。しかし、少佐は「また来る」といってその場を去る。
少佐はアラマキに連絡を取る。アラマキは、カッターが嘘をついていることを見抜き、少佐の見方につく。会話を盗聴していたカッターはアラマキを始めとする公安9課のメンバーに殺し屋を差し向けるが、全員返り討ちにあう。
少佐が記憶に残っていた最後の場所に向かうとそこには、クゼがいた。クゼの本当の名前はヒデオであり、ヒデオと素子は、人間とロボットの融合に対する反対運動をしていたのだ。そこにハンカ・ロボティックス社が襲ってきて、実験材料のために彼等は誘拐されたのだった。
カッターは、二人を殺すために巨大クモ型ロボットを差し向ける。少佐とクゼは反撃するが、少佐がロボットを破壊する前に、クゼは大破されてしまう。破壊される直前、クゼは少佐に、二人の意識(ゴースト)を融合しようと誘うが、少佐は、まだこの世界でやることがあるといって断る。アラマキが少佐を救うために送った公安9課のメンバーが、自らもひどく損傷した少佐を助け出す。
アラマキは、首相と話した後、反逆をしたカッターに詰め寄り、少佐の同意を経てカッターを処刑する。
少佐は、「草薙素子」の墓を訪れ、そこで母親と再会する。
「私たちを定義するのは、記憶ではなく、行動だ」そうして、少佐は次のミッションへと向かう。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』の感想
映像は美しいし、物語もものすごくポテンシャルがあったはずなのに、なんか映画としては、惜しい。もったいない。そういう印象です。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』のよかった点
スカーレット・ジョハンソンは、予想よりよかったです!黒髪と短髪で、クールなキャラをよい感じで演じていました。なんだろうな。ひと昔のミラ・ジョボビッチを彷彿とさせる感じというか…。細すぎず、ムチムチっとした身体でガンガン繰り広げるアクションシーンはめちゃくちゃ綺麗でかっこよかったです。
少しロボットっぽい演技も、役にハマっていました。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』の悪かった点
しかし!
映画を観ながら、何となくダレる瞬間が多かったのも事実。なんなんですかねぇ、あれは。個々のシーンはいいのですが……。
アメリカでは、スカーレット・ヨハンソンのキャスティングが「ホワイトウォッシング」だと大きな批判を浴びたことが、興行的に悪影響を及ぼしたと言われていますが(これについては後述)、この問題を抜きにしても『ゴースト・イン・ザ・シェル』は映画として「まあまあ」だったというのはあるかもしれません。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』で問題になったホワイトウォッシングとは?
さて、既に、語り尽くされた感もあり、日本語でもよい記事が出ていますが、一応書いておきます。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』で問題になったホワイトウォッシングとは、白人以外の役を、白人の役者が演じることです。
そもそもマイノリティの登場が少ないと批判されているハリウッドですが、たまにマイノリティの役があっても、それを白人が演じてしまうというケースが古くから見られました。
例えば、映画『ティファニーで朝食を』では日本人の「ミスター・ユニオシ」を白人の役者が演じましたし、実話を元にしたブラック・ジャック詐欺を描いた『ラスベガスをぶっつぶせ(原題:21)』は、実際の学生たちはアジア系だったのに、映画化に際し、しっかりホワイトウォッシングされました。最近は、『ドクター・ストレンジ』のチベットの老師役がティルダ・スウィントンになったり、『アロハ』でベトナム系アメリカ人役にエマ・ストーンがキャスティングされたことが批判されました。
日本に住む日本人にとっては、このホワイトウォッシングの批判はあまりピンとこないものだと思うし「別にいいんじゃない?」という人もいることでしょう。
わたしも実は、草薙素子という役が、脳以外は義体という人工ボディを持つサイエンスフィクション的設定であることや、アラマキや素子の母親に日本の北野武や桃井かおりがキャストされていたことなどを理由に「まあ、結構頑張ってるのでは。そんなに悪くないのでは」「『アロハ』よりはマシ」と思っていたくちがあります。
しかし、この動画を観て、ちょっと意見が変わりました。
↑セリフがありませんが、観るだけで伝わるものがあると思います。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』におけるキャスティングは、単に「日本人」のレプリゼンテーション問題にとどまった問題ではなく、アジア系全体のレプリゼンテーションにつながる問題なんだなーと気づいたからです。
日本にいる日本人は、「日本人」の表現に囲まれて育っており、アジア人のレプリゼンテーションに飢えてはいません。「自分と似た顔をした人がマスメディアに一杯いる」「自分と同じ人種の人がお話の主役」という状況に慣れきっているわけです。でも、アメリカで暮らすアジア系はそうではありません。メインストリームメディアは白人ばかり、たまにアジア系が出てきても「カンフーの達人」とか「算数が得意」だったりする脇役に過ぎません。そんな状況に晒され続けているアジア系コミュニティは、長いこと無視され続けてきたことに強い怒りとフラストレーションを抱いています。だから、アジア系のキャラクターがメインストリームでどう扱われるかは大問題だし、ましては「アジア系の設定のはずに、白人の役者が演る」ことへの怒りと悲しみは、わたしたちが想像するよりも、はるかに大きいのです。
最近問題になったVOGUEのグラビアの問題もそう。「本家の日本人がよいと言っているからよい」という問題じゃないんですよね。そのプロダクションがアメリカでなされている以上、アメリカの文脈で人は批判するわけだし、その批判は至極まっとうなものなのです。
最近こういう批判が理解できるようになったわたしですが、それでもまだ人生の多くを日本で過ごしましたから、正直言って「アジア系レプリゼンテーションへの飢餓感」を、はっきりと共有できているわけではないです。だから上でもちらっと書いたように、ホワイトウォッシングに対する批判を見ていて「別にいんじゃない」と感じてしまうことも多いです。
しかし、レプリゼンテーション不足に苦しむアジア系の叫びは、「恋愛といえば当然のように異性間のもの」であるという社会で、いつの間にか自分の思いが無視されたり、抑圧されたりすることに慣れきってしまっているセクシャルマイノリティにも共通するものだと思います。そしてこれについては、わたしは痛いほど共感できるのです。「別にいんじゃない」とは、とても言えません。
だから、例えばディズニーが明示的にキャラクラーをゲイだとすることは大事だと思うし、それは「些細」だとは思わないわけです。
参考記事:
ディズニー映画『美女と野獣』「ル・フウが同性愛者かどうかは些細な問題」なのだろうか? - QUEER NEWS JUNKIE
「エルサを放っておいて」#LeaveElsaAlone タグに対して感じるもやもや - #あたシモ
上の動画を作ったチューイー・メイはアジア系であるだけでなく、クィアでもあります。そんな彼女だからこそ、何重にも「レプリゼンテーション」の大事さと、それが人に与える影響を分かっていたのかもしれません。
レプリゼンテーション問題については以下の記事もおすすめです。ぜひ読んでみてね!
攻殻機動隊からセサミストリートまで、海外エンタメのキーワード「レプリゼンテーション(representation)」とは何か(前編) | FUZE
『ゴースト・イン・ザ・シェル』の評価
- スカヨハかっこいい度 ★★★★★
- アクション度 ★★
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