#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

人は皆他人に見せない苦労を抱えている

ジョーカー(字幕版)

久しぶりに友達カップルに会った。


全てが順調に見えたそのカップルが最近辛い経験をしてたことを知った。同性カップルで、子供をFoster to Adoption(養子縁組前提の里子っていうのかな)の制度で世話をしていたのだけど、うまくいかなかったらしい。ソーシャルメディアに報告を書いてたらしいけど見てなくてその場で初めて知ったんだよね。同性カップルで養子縁組をしようとするカップル、もちろんうまく行って生まれる前からアレンジして生まれた瞬間からすぐ引き取って育ててる子もいるけどそうでないカップルはなかなか大変見たい。わたしたちは調べてないから詳しいことは知らないけど、友達の反応を見ていたらそれがとてもかれらにとって大切なことはわかる。で、一旦マッチして迎え入れた子どもも、その後の相性とか、生物学的な親の状況が変わって裁判所の命令で離れなければいけなかったりとかあるそう。自分の周りでも数パターンあるがどのケースでも自分の家で子どもたちを世話してたくさんの思い出を作って絆を築いても、それが様々な理由で終わってしまうのはとても辛いようだ。わたしは想像しかできないけど誰かと別れてもう会えないというのは、それがパートナーシップの終わりや、誰かとの死別などとも似ているのかもしれない。

 

で、思ったことがタイトルに書いてあること。

 

他にも、別のカップルなのだがものすごいラブラブなように見えていた友達が同性離婚したりっていうのもあった。もちろんそれはそれで新しいチャプターのために全力で応援したいのだけど、やっぱり自分が長年知って「カップルとして」認識していた二人が別れてしまうのは何か自分の精神状態にも影響を与える。繰り返すが、カップルが別れるのは理由があってのことだし、それはそれでサポートしたいのだけど、自分の慣れ親しんだ世界が形を変えてしまうことへの心細さみたいのを感じるのだ。

 

ええーって驚きつつもわたし自身も自分自身のことをそんなに人に言ってないことに気づく。わたしは自己開示が下手だ。昔は恋愛相談とかよくしてたけどいつからかしなくなったし、最近の悩みは健康問題とか仕事関連ばっかりで、友達に話すようなことじゃない気がしてあまり共有しなくなった。昔はブログに何でも書いていたが、リアルで繋がっている人に読まれるようになり、段々書かないというか書きたいと思わないというか、書かないことが増えた。それが嫌というわけでもなく、自分に心地よくやっていたらそういう風に変わってきたのだ。だがら、わたしがガチで今乗り越えている悩みや挑戦を問題を知ったら(ちっぽけではあるが)驚く友達もいるのかな、と思う。

 

平凡な一般人である自分たちとセレブリティを比べるのは変かもしれないが、人生完璧で順風満帆に見えた大谷翔平が実はとてつもない大金を他人の借金のために支払っていた?とか、究極の「玉の輿」に乗って美人で子どもにも恵まれて……みたいなプリンセスがガンの治療を受けていたり。そんなことが続いたこともある。どんなすごいスーパースターに見えても、人は人間。完璧じゃないし苦労もあるし、人知れず戦っている悩みもあるだろう。それによって彼らの偉大さが減少するわけでもない。

 

私たちは皆人間で、他人からは見えない苦しみや困難を抱えて、時には眠れぬ夜を抱えて生きている。どんなにインスタで完璧な人生のように見えても、それだけでその人の全てを理解したつもりになってはいけない。当たり前だよね。

 

それでも生きてってるわけです。

 

皆、頑張ってる、

 

偉大です。

 

あなたもわたしも、あのひとも。