#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

チャーリー・シーンと「LGBT」

yuichikawa.hatenablog.com

この前、こういう記事を書きまして↑。その時は、HIV=ゲイという短絡的な思考に釘を刺すつもりだったんですが、その後、妙な展開になってきました。

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どうも、チャーリー・シーンさんが男性に「お口でしている」ゲイシーンをとらえたビデオが存在するそうです。まだ流出はしていませんが、ビデオを入手したというゴシップサイトによると、こちらは、2011年に撮られたもので、ラスベガスのホテルで、クラックを吸いながらのシーンということです。

もういろんな意味でスキャンダラス。でもチャーリー・シーンは、これまでも麻薬や性依存が報じられてきたので今更感というか、驚きはない。2013年一年だけでも、セックスワーカーに、2億円近くも使っていたとか。多くの元恋人から「HIVだと言うことを言わなかった」として訴えられまくっているチャーリー・シーン。このビデオも「ヘルペスをうつされた」という巨額の訴訟のなかで持ちだされたものと言われます。←チャーリー・シーンの弁護士は否定。

うーん。真偽はわかりませんが、今大変なのはわかりますが、しっかりと法律問題を片付けて、健康な生活を送って欲しいものです。

さて、そんなゴシップを言いたかったわけじゃなくて、今日はここからが書きたかったこと。

今回のビデオ騒動をさして、チャーリー・シーンはバイだった!と言う人がいますね。でも、わたしはそういう取り上げ方にとても違和感があります。なんですかね。チャーリー・シーンはそもそも、性依存でしたし。BDSMとかもそうなんですが、「同性とセックスする」イコール、ゲイであるとかバイであるとは限らないんですよね。

日本語でもエイズの話周りだとMSM(men who have sex with men:男性と性行為を行う男性)なんて言葉が使われますが、これは本人のセクシャリティ自認とは関係なく、客観的外形的な行為のみを基についた呼び名です。ゲイでも、異性としかしたことない人もいると思うし、ノンケさんでも、同性としたことある人は多いでしょう。

ちょっと前に「「隠れホモ」はLGBTとは関係ない。」という北丸雄二さんの発言が批判を浴びていました。その言葉が「クローゼット批判」というコンテクストで使われていて、クローゼットな当事者はLGBTにいれてもらえないような言い方になってしまったのは残念でしたが、わたし自身は「LGBTは獲得する自認だ」という言葉自体には結構頷けるものがあります。「同性と寝る=ゲイ」ではないんですよね。わたしの場合は社会に対して「隠れ」ているか「カムアウト済み」かで分けるのではなく、「自認」の問題だと思っています。そして、実は今その自認を持たずに、クィアな性行動を取る人はどんどん増えてる気がします。

女の子でもね、結構同性を好きになったり、関係を持ったことがある人は、沢山いますよ!特に今の大学生とか高校生だと、自分のセクシャリティを決めずに、両性と性行動に出る可能性を残しておく……っていうメンタリティが主流みたいです。で、同性とも関係を持つけれども、じゃああなたはゲイなの?っていうと、必ずしもそうでもない。自分でもわからないわけなんだから、人から外から見てて「あ、あなたはあの人とこれをしてたからゲイね」とか「異性とつきあったからバイね」とか「パッ」と言えるものではない、なかなか難しい問題なんです。パンセクシャルとか、なんちゃらセクシャルとか、最近、どんどん新しい概念が出てきていて支持を広げているのは、そういう、ゲイ・バイ・ヘテロな分け方に限界を感じる人が増えてきているからかもしれません。

別に、チャーリー・シーンが、このようなトレンドを表していると言いたいわけではなく(彼の場合は様々な依存症の影響が大きいと思う)、一連の報道を見ていていろいろ考えたので書きました。

バイセクシュアルという生き方

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