マイノリティーとして育つと、自分の仲間を見つけた瞬間、異様な程のアタッチメントを感じる瞬間があります。
ちょっと前に見かけた『Golden』ってショートフィルムもそうだったんですけど。初めて仲間を見つけた時の喜びとか、相手への親近感とか、恋心と区別つかなかったです。
顔も性格も全然タイプでもないし遠くに住んでるし、年齢もかけ離れてるのに、セクシャリティが合致するという理由だけでガーッと好きになってしまいそうになる。そんな経験ないですか?わたしはあります。
もちろん、時間が経つと、憑き物が落ちたように思いは収まるのですが、我ながら不思議です。(なんでこんな人に一瞬でも欲望を抱いてしまったのかしらん)と。
でも本当はその理由は分かっています。他に「好きになっても良い人」がいなかったからなのです。
魅力的なノンケ、素敵な女性に囲まれていても、どんなに密かに好感を持つ人がいても、好きになっちゃいけない相手だとしたら、恋は生まれません。自分だって、どんな素敵な男の人だとしても、好きになることができないんだから、ノンケなんて、いくら好きになっても無駄だって心のどこかで諦めているんです。
そんなある日、好きになっても良い人と出会ったら……歯止めきかなくなりますよね。
でも、それは、周りにセクシャルマイノリティーの仲間とかコミュニティがない時代や地域の話だと思います。
一昔前、レズビアンの世界には、異常に長く付き合ってるカップルとか、妙に年の差のあるカップルとか、遠距離なのにずーっと付き合ってて突然同棲するカップルとか、色々いました。いや、今もいますよね。
そーゆー一見「純愛」に見える関係は、素敵ですが、実は、「恋愛流動性」が低い地域や時代に生きるマイノリティーだからこそ、可能になったのではないかとわたしは考えてます。要は「別れたら次がないような気がして別れられない」ってゆーやつです。もし、そこら辺で、ノンケと同じように出会いが転がってるような環境になるのなら、レズビアンだって、もっとサクサク浮気したら離婚したり、別れたりするんですよね。これは、都市部でコミュニティに出入りしている「出会いに事欠かない」人たちの一部では見られます。
そう考えると、コミュニティの中で象徴的な存在だったカップルが別れたりするのって、逆に健全というか、恋愛流動性が担保されてることを示すのかな?とか考えなくもありません。