#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

法律を疑え!

photo by seychelles88

前から考えていることを書いてみる。

法律は絶対のものではない

社会問題について考えたり書いたりしていると、「違法か?合法か?」ということに異様にこだわる人にたまに出会います。社会を考える上で、法律は欠かせないものです。でも、実際には、法律は絶対のものではありません。法律は、時代や地域によって変わります。アメリカでも実際に施行されていた「禁酒法」などはその典型例。そして、法律が「間違っている」場合もかなり多い。同性愛行為を犯罪とするような国は今もあるし、女性が職業につくのを禁じるような法律だって存在したし、ナチス政権下、ユダヤ人から公民権を奪ったニュルンベルク法だって法律でした。

歴史を顧みれば、法律が間違っていることは多くあるのであり、物事の是非を考えるときに、「違法か否か」から考えを始めるのは、間違っている。また逆に「合法だから大丈夫」と思考停止してしまうことは非常に大切なものを見失わせてしまいます。

もちろん、自分が生きる世界で、「違法」とされる行為を行うことには、さまざまなリスクが伴います。しかし違法/合法の区別は意外と曖昧であり、人はいつもいつも合法なことだけして生きてるわけではないです。ある程度法的安定性や予測可能性は必要なものの、裁判所による法解釈によって何が違法かも、日々変わったりする。昨日まで「合法」とされていたことが、判例が変更されたことにより「違法」になったりする……というのは、繰り返されてきてるわけです。

「違法」な活動が歴史を変えてきた

今その時文章になっている「法律」は一面的なものであり、別の立場から見たら、正義や公正というものが食い違うということがあります。そこで、「違法」とされていることでも、生き抜くために必要だったり、抗議のために必要な場合、違法であることを承知のうえで、パフォーマンスをしたりすることもあります。それらは「市民的不服従」として、重要な方法と見られています。マハトマ・ガンジーによるインドの独立運動、アパルトヘイトをなくすための運動、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアによる公民権運動、ベトナム運動に反対する反戦運動など実に多くの活動において採用されてきました。

今この瞬間も同様の活動は行われています。

最近このブログでも、アメリカで生き抜くために、書類を偽造してきたジャーナリストのホセ・アントニオ・ヴァーガスの話や、ノースカロライナ州での「トイレ法」に抗議するために、女子トイレでのセルフィーを投稿したアクティビストのトランス女性の行動などを紹介しました。彼らの行動は客観的に見れば、法律に違反しています。しかし、彼らの行為を単純に「でも違法でしょ」といって片付ける人はいません。

合法だけど倫理にもとること

逆に、合法だけど「よくない」こともある。クリエイティブアカウンティングとか、かなり発達してますけど、その一例。違法ではない……でも本当によいの?あと、最近の「パナマ文書」的なアレ。はい、脱税ではなくて、節税です。でも、それってどうなんですか?合法だけど、倫理的には、間違っていると考える人が多い。だからそういうことをしている企業は批判されたり、批判された側が、法律上は払わなくてもよい税金を追加納税したりしてるわけです。

「違法薬物」だからダメなのか?

薬物もそう。「違法」とされているから「ダメ、絶対」で、合法だったらOKなはず、というのは思考停止。あ、「法律を破るべき」だと言っているわけではないです。念のため。

しかし、法律を盲目的に信じるのではなく、まず知識をつけ、自分なりの判断基準を持つべき!だとわたしは思います。

本当は怖い処方薬と、合法化される大麻

プリンスの検死はまだ続いているが、彼の命を奪った可能性が高い薬物は、医者によって処方された鎮痛剤パーコセット(Percocet)だと言われてます

プリンスは麻薬も酒もやらないクリーンな生活で知られていたにも関わらず、処方薬とのよいつきあい方を知らなかったのかもしれない。プリンスに限らない。今、処方薬による依存症が非常に大きな社会的問題となっています。

一方で、かつては多くの地域で「違法」であった「大麻」は全米、全世界で今次々に合法化が進んでいる。「法律が間違っている」ことを信じて活動を続けた活動家がいたからです。

「法律」で思考停止するのはやめよう

「違法だから」ということで鬼の首を取ったように叩いたり、「合法だから」といってすべてが許されると考えるのは、もうやめよう。それは、自分の頭で考えて、価値判断をする、ということの放棄であり、非常に危険な行為です。

もちろん、法律を気にせずに、好き勝手に振る舞っていいと言ってるわけではないです。法律は知るべき。自分の身を守るために。でも別に法律は「法律だから」という理由だけで守らなければならないものではありません。そして、法律がおかしいと感じる時、それに対してわたしたちはただ盲目的に従いつづけるのではなく、声を上げて立ち上がり、抵抗するべきなのです。