勝間和代さんのカムアウト騒動で、当初の驚きフェーズから一段落し、斜に構えたような意見が目立ってきましたね。
「カムアウトすることを称賛すること自体がおかしい」
「誰とつきあってようが「ふーん」で終わるのが正しい反応」
「わざわざ言いたければどうぞ、って感じ」
みたいな意見。
これに対してすごく苛立ちを感じたので書いた。
カムアウトしてもしなくてもよい社会は、とりあえず色んな人がカムアウトしまくって、カムアウトしたければできる、とゆーかそもそも「言わなくても異性愛者と決めつけられないし、言ってもいちいち話題にならないし驚きもされない」ってゆう状態になって初めて結果として実現するんだよ。
— イチカワユウ (@yu_ichikawa) 2018年5月29日
今みたいな現状で、初めから「カムアウトしなくてもよい社会が理想」とか言うのは、下手したらカムアウトしづらい、できないプレッシャーが強くなるだけだし、ましてや、「今ここにあるカムアウト」を貶めてしまうのは、本末転倒だと思うわ。
— イチカワユウ (@yu_ichikawa) 2018年5月29日
こーゆーことを、普段カムアウトだと差別だの対して考えてないような人たちが軽く口にするのは本当に苛立つ。もちろん悪気がない言い方のものもあるし「カムアウトが必要ない社会が理想」ってのは文字通りには、その通りなんだけどさ。
— イチカワユウ (@yu_ichikawa) 2018年5月29日
カムアウトする側だってしたくてしてるわけじゃなくて、黙ってたらいつまでもいつまでも異性愛者の枠組みに勝手に想定してきたり、それができなくなると勝手にいろんな「疑惑」で盛り上がってきて生きづらくなるから仕方なく言うわけじゃん。カムアウトなんてしたくないけど誰のせいでしてると思ってる
— イチカワユウ (@yu_ichikawa) 2018年5月29日
ちょっと誤字とかひどいのだけど、許してほしい。
あと、「カムアウトを称賛するのは「逆に偏見がある証拠?」という意見も見たのだけど、これについてもひとこと言っておきたい。
確かに、別に同性を好きになったりつきあったりすることがすごいわけではない。だからそれを称賛してるわけではない。でも、今の社会のなかで、社会的地位も築き、失うものも小さくない状況で、自分に嘘をつかず、正直に生きることを選んだこと、そして、周りからの好奇の目や様々な偏見にも負けず、「カムアウトした」という事実は十分称賛に値するし、素敵なことだ。
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