#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

死にたくなる時は今でもある

人生で一番初めに死にたくなったのはいつだったろう?

覚えてない。

でも、死のうと思って、ビルの屋上まで行き、結局飛び降りることはできずに、終電で新宿に行き映画館の中に夜中いたことは覚えている。

気づいたら、口癖は「死にたい」だった。死にたい死にたいって毎日口に出したり文章に書いていた。でもそれは本当に死にたかったというよりは、その気持ちを表すことで何か心が軽くなるような錯覚を覚えていたのだった。わたしは、その重大な言葉を、気軽に舌の上で転がして、もっと大きな痛みを紛らわせていた。

わたしは手首を切るタイプの自傷行為はしなかった。けれど、それは言葉による自傷行為だったかもしれない。自己を卑下し、 自分の心を痛めつけることで、かりそめの安らぎを得ていた。

その頃、学校の仲間で、アサちゃんと言う子がいた。儚くて消えてしまいそうな美少女がいた。彼女の顔は実は割と面白い造形をしていたのだが、彼女は不安定で、毎日気分が変わって、少し耳が悪くて、でも放っておけないタイプで、とにかく男子からモテた。彼氏みたいな人もいつもいた。わたしは誰がアサちゃんの彼氏なのか、よく知らなかった。そこまで仲良いわけじゃなかったしね。でも、彼女自身は男の子より、女の子の友達の方が大事だと言っていた。でも、彼女には女の子の友達はあまりいなくて、突然アサちゃんは、わたしのことを呼び出して、一緒に買い物行ったりお祭りに行こうなんて誘うのだった。彼氏は?というと、ゆうちゃんの方が大事だと言っていた。そして、もちろん、わたしは彼女に恋をしていた。自分でそうと気づいてたわけじゃないけど。アサちゃんに何か言われたら、わたしは絶対ノーとは言えなかった。

そして、ある夜、アサちゃんから電話がかかってきた。アサちゃんは、何か嫌なことがあったらしく、泣きじゃくっていた。

「アサちゃん?どうしたの?」

電話はすぐ切れた。

その後すぐかかってきたのはあまり仲良くない男子で、わたしは(なんでこいつがわたしの番号知ってるんだ?)と一瞬不思議に思ったけど、「アサコがどこにいるか知ってる?」と聞かれてすぐそんな疑問は吹き飛んだ。そいつが最近アサちゃんとよく一緒にいるのは知ってたし、つきあってるのかな?と思ってたくらいだから、わたしはてっきりアサちゃんと、そいつが一緒にいると思ってたからだ。

「知らない…ってゆーか一緒にいるんじゃないの?」と聞くと、そいつはアサちゃんがクスリを飲んで行方不明だとかわけわかんないことを言うのだった。だから早く見つけないといけない、と。はあ?クスリって何?アサちゃんの行きそうなところ?そんなのわたしにわかるわけないじゃん…。

わたしは一瞬にしてイライラの限界に達したけれど、アサちゃんのことが心配だったので、とりあえず情報を聞き出そうと思った。最後にアサちゃんと会ったのはいつ?いつ別れたの?クスリってどんな薬なの?お医者さんでもらってるの?それともバファリン的なアレなの?どれくらい飲んだの?

うちらはとりあえず神田川の近くにある公園で合流して、アサちゃんを探すことにした。

平日の夜で、時間はそんなに遅くなかったと思うけど、これまでそんな理由で外に出たことはなかったからドキドキした。外は暗かったけど、空気は暑かった。こんなあてもなくうろうろしたところでアサちゃんは見つかるのだろうか?自信はなかったけど、何もしないわけにはいかなかった。でも、本当に見つからなかったら、警察だよね。わたしはそんなことを考えていた。

その夜、アサちゃんが結局どこにいたのか、わたしは知らない。電話がかかってきたかどうかもとぼえてない。その夜、結局男の子もアサちゃんも公園に現れず気づいたら何もなかったみたいにアサちゃんは元気になっていた。そして、わたしはつくづくバカみたいだなーと思って死にたくなった。そして、アサちゃんとはいつしか疎遠になった。

アサちゃんだけじゃない。地元の友達とはみんな疎遠になって、今つながってる子は一人もいない。


今、死にたいと思う時、でも、それはあの時の感じとは随分違う。どこがどう違うのかはうまく説明できないけど、あの頃の死にたさと今の死にたさは違う。あの頃は、死にたさを感じることで生きていけてた。今は……死にたさなんて使わなくても生きていけることを、わたしは知ってる。