#あたシモ

虹の向こう側

カムアウトは「一度して終わり」ではない。同じ相手に何度でもカムアウトしよう。

photo by mutantlog

あなたは家族にカムアウトしている?それともしていない?……こんな風にまるで「カムアウト」は一つの動作のように聞こえる。まるで、「する前」と「した後」がはっきりと分かれる、シャキッとした動詞のように聞こえる。でも実は、カムアウトは同じ相手に「一度発表したらそれで終わり」というようものではない。日常生活におけるカムアウトは、ふにゃふにゃしてて、曖昧で、決定的ではなく、まるで柔らかくまとわりついてくる長くて狭いトンネルを匍匐前進で進んでいくような動詞なのだ。

なかったことになるカムアウト

これまで、周囲の人何人もにカムアウトをしてきたけれど、日本で結構あったのが、「その後なかったことになってしまう」こと。カムアウトの後、まったくそれに関した話がでない。これは、カムアウトしても自然に接してくれてる、というのとは違って、明らかに「カムアウト慣れしてない」相手が、しばらく経つと「ノンケ前提」の話を振ってきたりする。だから「あれ……えっと……話したよね?」って不安になってしまう。 と まっ、そんなに仲良くない人なら、単にわたしにそんなに興味がないんだろうから、それでもいいんだけど、家族とか、親友とかそれなりに仲がよい相手だと、それじゃ困るんだよね。

こっちはそれなりに、覚悟を決めて、カムアウトしたのに、それ以来何の反応もない、ましては無視されているように感じると「本当にわかってくれたのかな?」と不安になってしまったりする。

↑実際に、わたしは、親には何回かカムアウトしなければなりませんでした。本や雑誌を見せて泣いて抱き合ったりして「わかってくれた!」とか思っても数年間何の音さたもなしで、改めて彼女を紹介しようとするとショックを受けられたりとか、また数年経ってから「お前は一生独身のつもりというのは本当か」とか。←何度説明すればいいんでしょうか……。

おそらく、カムアウトされた側はされた側で、いろいろと考えているんだろうね。もしかしたら、気を使ってくれてるのかもしれないけど、正直、何を考えているのか、わからない。

もしかしたら、「そっとしておけばいつかは治るだろう」とか、変な方向に考えがいってないか、不安になる。

クローゼットから出たはずなのに、また、もっと大きな部屋に閉じ込められているような。出てきたばかりのクローゼットにまた押し戻されているような。

これって、一応カムアウトはしてるけど、その相手との関係で「アウトになった」とは言いづらい。

そんな時はまたカムアウトしなければいけない。二度でも、三度でも、何度でも、クローゼットから出なければいけない。

相手に対して「アウト」な状態になるまで、何度でもカムアウトし続ける。カムアウトは持続的な行為なのだ。

二度目、三度目のカムアウトは「実は……XXXなんだ」という形ではないかもしれない。もっとさりげなく、自分のことを出していかなければいけない。

テレビで「ホモネタ」をやってた時、どこかで「LGBT」がテーマになってた時、好きな人の恋バナをしたい時。

普段なら「あえて話さない」のが癖になっていたような話題で、少しずつ、自分の話をしてみる。これはちょっと筋トレみたいなもので、大変かもしれない。はじめは相変わらず、何の反応もないかもしれない。聞こえないふりをされるかもしれない。でも、少しずつ、少しずつ、自分の話をしていって、相手がそれを聞いていると感じた時、わたしは、自分の「カムアウト」が少しずつ完成へと近づいていっているのを感じる。

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↑最近わたしが、ハマって紹介しまくってる「カムアウトしない」タイプのカムアウトはそれを「カムアウト」として認識してくれる受け手があって初めて存在できるので、普通に「誰もが同性愛とか想像もしてない」状況でそれをやると、普通に誰にも気づかれない=クローゼットなままってことになっちゃうんだよね。そういう社会状況においては「あえてカムアウトしないー」とか言ってないで、しっかり意識的に「クローゼットから出る」そして「出続ける」ことが必要な時もあるのかな、と思ったりする。

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