#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

自分に降りかかる危険を自分でコントロールできないというフラストレーション

コロナウィルスで露呈したのが、政治家や経営者の本音や哲学だ。

営業自粛や休業などは、ビジネスの根幹に関わるところなので「補償がない限り踏み切れない」という気持ちは痛いほどわかる。

しかし、顧客やスタッフの安全性にどの程度気を使っているのか?また在宅勤務でも問題なく機能する部署を無駄に「顔見せのため」という名目で出社させていないか?など。ここらへんが雑なまま「早く元に戻さなければ」というのは意味がわからない。

大手企業のように余裕がないスモールビジネスであればあるほど、ITリテラシーも低いだろうし、早く「通常営業」に戻したい気持ちは理解するが、正直行政による制限が緩んだところで、ウィルスの危険がなくなるわけではない。医療費の高い国で、高齢者や喘息持ちの家族もいるような場合、必要以上にリスクをアサインさせられることのストレスは半端ないものがある。

自分の身に降りかかる危険を自分でコントロールできないことは辛い。しかも、それが「別にZOOMでいいじゃん」レベルのことをわざわざ「顔見せて」やることとかというのも非常に辛い。意味がわかって、自分の意思で引き受けるリスクならよいが、意味がわからないまま、他人からコマのように動かされて、アサインされるリスクは辛い。おそらく「リスク」が怖い、というよりも、自分のことを自分で決められないこと自体が辛くてストレスなのだ。

あと、結局このようなことはこれまでも繰り返されてきたんだと思う。無料のカフェもあって、ずっと在宅勤務を認めてくれるような、イケてる大企業で働ける人と、在宅で成果を出していても、結局「はい、ロックダウン終了」といって出社が強制させられる中小企業。いや、サイズじゃなくて社風の問題なのかな。「来週から出社」と意思決定しながらも、自分は出社しないですむオーナーと、オーナーを稼がせるために毎日、時間を売り、身を粉にして働き続けるスタッフ。どちらにしろ、この世には身分制度はずっとあった。正社員、ホワイトカラー、学歴……。それを今までさほど感じずに生きてこれたというのは、恵まれていた、ということなんだろう。

※一般論です。