わたしは、自分でプライドが高い方だと思います。最近では、あえて自分で自分を下げて笑いをとったり、下手に出て謝ったりすることで、相手との関係性を良好に保っという技を覚えましたが、以前はそういうことすらできませんでした。というか、自分で自分はプライドが高いということすら気づいてなかったんですね!(汗)
今もプライドがなくなったわけではありませんが、それでも、「プライドの高さ」がもたらす弊害というのを理解した上で、柔軟に人と接することができるようになりました。
これは、Fionaの影響がかなり大きいと感じています。彼女もかなりプライドが高い方です。でも人と接する上では、それが嫌味にならないように、ユーモアを交えながらそのプライドの高さを上手に隠しています。これを見てて、多くのことを学びました。
また、実力の伴わない「プライド」は、結構やっかいです。よく、自信のないやつほどよく吠える、なんていいますが、実力が伴わない場合、そんな自分を支えるためにより強固な「プライド」が必要とされる場合があるんですね。その拠り所が出身国にあるにしろ、容姿にあるにしろ……自分の足りないところを埋めあわせるための「プライド」にはろくなものがありません。
さらに、年齢を重ねるにつれ、周囲にもっと若くて優秀な人がどんどん現れるようになるため、下手にプライドが高いと(たとえそれに見合う実力があったとしても)、「一緒に働きづらい奴」になってしまうんですね。これは大問題!現代においては仕事の多くは、人間関係がベースになっていますから、どんなに能力が高く、どんなに実績があっても、「一緒に働きづらい」と周囲に思われてしまうと、その実力はなかなか発揮できません。
一年前も、こんな記事書いてました。
就職活動において求められる、「職場において必要とされるコミュニケーション能力」っていうことに絞ると、「一緒に働きやすい」っていう単純なことではないだろうか。
http://yuichikawa.blog.fc2.com/blog-entry-2300.html
そんなわけで、最近では自分のプライドの高さを相対化するようなことばかりやっているわけです。わはは。