カムアウトとは
カミングアウト(Coming out)とは、これまで公にしていなかった事柄(主にセクシャリティ)自らの出生や病状、性的指向等を表明すること。 英語の動詞形でカムアウト(Come out)とも言う。カムアウトしていない状態を「クローゼット(たんす)に入っている」と言ったり、カムアウトしているゲイのことを「オープンリーゲイ」と言ったりする。
わたしの最近のカムアウト事情はこんな感じ。
“カムアウトしないカムアウト”ってのもありました。
「隠さない」「嘘付かない」をベースに、基本オープン。もっとも、いちいち「ゲイ宣言」や「告白」をして回るわけでもないので、決して嘘をついて「ノンケのふり」をしているという意味でのクローゼットではないですが、一見クローゼットっぽくなる場面もある。
すると、周りのアメリカ人から「えっ、ユウ、カムアウトしてないの?あなたはブログを書いたり、社会正義にそんなに燃えてるのに、リアルでは埋没してるのは興味深い!ワタシは、社会活動には興味はないけど、職場とかで自然とカムアウトして、周りのヒトにゲイについてエデュケートしてます(意訳)」とか言われたりするんですね。
ぬあぁぁぁぁーメンドくさい!
カムアウトは何のため?
よい社会を目指したい!と思っているわたしが、一番カチンとくるのが、クローゼットでいることが社会活動のためにならない!(だから活動に興味ある人ならオープンリーゲイなのが当然)と言われること。
もちろん、活動の場面からみれば、当然、カムアウトってすごく意味ありますよね。ハーヴィー・ミルクじゃないけど、皆じゃんじゃん周りの人にカムアウトした方がいいです。
あの人も、この人も、えっキミもゲイだったの?って、この世の中にどれだけゲイが多いか、そしてその人達の生活が、いかに、皆の「固定観念」からずれているかを理解してくれれば、権利獲得活動はずいぶんと進むことでしょう。
でもね!というか、そんな大文字の正義のため!ってんで、なりふり構わずカムアウトするのは、個人の生存戦略からしたらマイナスでしかない場合だってあるし、そんなことを皆に押し付けるべきではないと思うし、個々人の立場からしても、社会正義なんて持ち出されても、ぜーんぜんカムアウトのモチベーションにならないわけ。。というか、そもそもなんで、うちらは、社会を変えたいんだっけ?
カムアウトするのは自分が生きやすくなるため
わたしが個人的にカムアウトしてよかったなーと思うのは、ホントいろんな意味で「楽」だから。
カムアウトしていると、「彼氏いるの?」とか「同居人との関係」などについて、いちいち「設定」を考えないですむし、あれ、誰に言って誰に言ってなかったかな?とか、「バレてたらどうしよう!」って恐れなくてすむ。
クローゼットの時は意識していなかったが、こういう「小さな嘘をつかなくてよい」っていうのはものすごーく、精神的に楽!周りの人との関係も改善された気がする。
こんなブログも見つけたんですが、概ね、その通りだなあと思います。
It Gets Better Japan: カミングアウトしないことで失っているもの
もしそういう人たちにもカミングアウトできたら、3つの良いことが起こるんだと思います。
1.相手と心が離れなくて済むから、悲しくならない
2.本当のことを話せばいいので、嘘をつく必要がないので、楽チン
3.カムアウトしなかったら生まれなかったような新たな関係を、相手との間に作っていけるなかなかいい感じです。
だけどカミングアウトしないでいると、3つの残念なことが起きてしまうんです。
1.相手と心が離れて、悲しい気持ちになる
2.嘘をつくのは、やっぱり疲れる
3.相手との関係が何か新しいものに発展していったりはしない(むしろ関係は停滞する)なんだか悲しい感じです。。
It Gets Better Japan: カミングアウトしないことで失っているもの
生きやすくならないなら、カムアウトしなくていい
かといって、カムアウトはいいことばかりではない。 まず、カムアウトする相手によるんだけど、めちゃくちゃ面倒くさい時がある。
「彼女です」「ゲイです」といって、「あ、そうなんだ」ってすっと理解してくれる人ならいいけど、「えー」大騒ぎするような人たちに囲まれている場合、「セクシュアリティの基礎知識」みたいのをひと通りやんなきゃいけない時がある。同じ質問に何度も何度も応える羽目になるし、時には、それがめちゃくちゃ失礼だったり、性的だったりするわけで。通常であればそんな話をする関係じゃない相手からすごく込み入ったことを聞かれたりする。これって「大したことない」と思えるかもしれないけど、少しずつしかし確実に精神を蝕む。
カムアウトによって、もっと、深刻な不利益が生じる可能性だってある。「カムアウトして、周りから浮いた」とか、下手したら、イジメられたり、クビになったり。家族や親戚づきあいの縁が切れたり、それに伴って衣食住などのライフラインに影響があることだって、ないとは言えないよね。個人個人が感じる「怖さ」というのは、その人が生き延びる上で本当に大事なもので、他人にはわからないことだから、自分の心の声に耳を傾けたほうがいい。
(もちろん、「こういう場合はカムアウトしないほうがいい」と言ってるわけではないYO!念のため)
社会を変えるためには一人でもオープンに生きる人が増えることが不可欠だと思うけど、そもそもなんで社会を変えたいのかというと、結局それも、一人一人が(少数派であろうと多数派であろうと)生きやすくなるためじゃん。その大きな目的のために毎日が生きづらくなってしまったら、本末転倒なんだよね。うーん。ニワトリが先か、卵が先か。
カムアウトを焦るより前にやること
「カムアウトできる」のもいいし、「カムアウトしなくていい」のもいいですが、結局しなくても、せざるをえなくなっても面倒くさいのがカムアウトの現実。別にオープンな人のが偉いわけではないので、自分の状態がカムアウトできないと思うなら、しなくていい。
それより先に大切なのは、一人でも生きていけるようになること、同時に、周囲ときちんとした人間関係を築くこと。人間関係には得意不得意があるし、わたしもコミュニケーションは苦手な方だ(汗)。でもそこを頑張ることは、社会活動とは関係なく「自分が」生き延びてくためにとても大事だと思ってる。
カミングアウト・レターズ : 子どもと親、生徒と教師の往復書簡
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↑わたしがカムアウトした後、ショックを受けていた家族にプレゼントした本。
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