#あたシモ

アメリカで働くレズの徒然

もう一度やってみよう、と思えた話

2019年のカウントダウンが始まっています。今年は、わたしにとっては、なかなか辛い年でした。

Twitterやブログは出さないようにしていましたが、全体的にイライラしたり、悲しんだり、怒ったり、というのが多い年でした。新しい出会いもありましたが、その分人と遠ざかってしまった年でもありました。

イライラだけではなく、無気力にも苦しみました。

本当は、今年はいろいろな挑戦をしよう!と思い、実際に動き出した年でもあったのです。しかし、自分の不甲斐なさや弱さが原因で、尽く上手くいきませんでした。ご迷惑をおかけしてしまった皆様、期待に添えなかった皆様に心からお詫びします。

「精神的に元気がなくて、できなかった」なんていうのは、大人の言い訳として最低なのはわかっているのですが、その最低なのが自分とちう人間なんですよね。

正直、わたしはトラウマからまだ立ち直ってません。今、まだ回復している最中だと思います。

もちろん、挫折や失敗を見つめ、そこから学ぶからこそ人は成長するのだし、この心の揺らぎや変化を正直にブログで表現することができれば、もしかしてまた新しいフェーズに行けるのかもしれません。でも、わたしにはそれはできそうにないです。人生で本当に重大な事件とかって過去にもいくつかあったけどそーゆー詳細を書くのは、どうしてもできないんです。

わたしはほぼほぼオープンリーで生きており、周りの仲良い人はブログやツイッターの存在を知っているため、身バレが怖いとかではないつもりですが……それも一部あるかもしれません。

リアルで他人から「そういう目」で見られることに疲れすぎていて、ネット上では、もう、「そういう目」←ってなんやねん?って感じですが、要はわたしは他人からジャッジされることをとても恐れてるんですよね。ネット上では、ネットで書いたことでジャッジされるのはよいですが、その他の実存的なことについて、断片的にしか知らないネットの人にジャッジされるのは非常に嫌なわけです。見られたくないわけです。そーゆー目で!

バラバラに壊れた心を立て直すためにわたしがやったことは、そのバラバラの状態をネットにさらけ出すことではなく、リアルでのルーティーンを取り戻すことでした。リアルで、ルーティーンをちゃんと持ってる人がわたしは好きで。派手な魅力はなくても、ずば抜けた才能がなくても、自分のペースでコツコツと努力して、自分の人生を積み上げている人にわたしは大変惹かれる。それは、その人に合わせて?自分のルーティーンも積み上げることができるから。

わたしはそーゆー誰かの導きがないと、夜も寝ず、ご飯も食べず、風呂も入らずきっとゴミに埋もれて餓死してしまう。

そして、少しずつ生活を立て直してきた。

そして、ようやく、その経験があったから、今がある。と思えるようになりました。ある意味、感謝、と。そこまで思えるようになりました。一年かけて。

まだ、気分は落ち込んだままだし、傷口はまだ痛いし、血はジワジワと滲み続けているけどね。

でね。

ようやく。

今日。

もう一度、生きよう。

もう一度、やってみよう、また、挑戦してみよう、とちょっと思えました。

何を?っていうと長くなるので、それは、また今度、改めて。

わたしはまだ終わっちゃいない!

以上。

明日はどんな気分なんだろう。